見出し画像

同じ問題集を何周もする意味ある?

動画チャンネルなどで、問題集を何周もやったという話をよく聞く(青チャートを何周したとか)。
しかし、無駄なことのように思える。動画チャンネルの言っていることは、習熟不足を自白しているようなものだ。

小学校のときにやった計算ドリルのような問題集なら繰り返しやる意味はある。積分計算とか英語の書換え問題とか、基本的な操作を速く正確に行う訓練としては有効だ。しかし、基本的な操作を速く正確に行う力を身につけることは、受験のための基礎体力作りに過ぎず、勝負はその先だ。その基本的な操作はどのような場面で使えるのかを押さえ、どのような問われ方をしても常に使えるようにスタンバイできている状態にまで高めていく必要がある。要するに応用力を養う必要があるということだ。基礎体力作りに時間を費やしている場合ではないし、応用力を養う過程でも、訓練の機会はいくらでもある。

青チャートのような問題集は、基本的な知識をどのように使うのかを習得するための問題集である。この手の問題集は解法を習得できれば繰り返す必要はない(むしろ、初見の問題で習得した解法を使えるか訓練こそが重要だ。)。具体的には、自力でやってみて解けた問題で、何度出題されても解けると自信が持てるような問題は二度とやる必要はない(そもそも、こういう問題が5割ないならレベルがあっていない)。自力で解けはしたが、そのような自信をもてなかった問題、自力で解けなかった問題は、再度取り組む必要があるが、二度目でも解けないならそもそも復習不足だ。100%というのはなかなか難しいにしても、三度目でも解けないという問題はそうそうないだろう。

演習型の問題集は、習得した解法を初見の問題で使えるかを訓練するものである。過去問も同様であろう。英語や国語は同じ文章が出題されることは基本的にはないのだから、汎用性はそもそも高くなく、その文章を完璧にすることに意味はない。数学は問題集のレベルにもよるが、難しくなればなるほど、解法を閃くことがてきたかという面が強くなり、
汎用性は低くなる。このような問題で反復演習しても、明かされたタネをなぞるだけの話で、訓練としての意味すらない。
結局、何らかの汎用性を見いだせないなら、問題集を繰り返し解く価値はないということだ。
一般論として、汎用性があるといえるのは、手を変え品を変えて繰り返し問われる標準的な問題を集めたもので、特に、1問1問のウェイトが高くなく科目や試験(英文法や理社や各種法律資格の民法など)の問題集くらいだろう。ただ、それとて、初見の問題を解くような心構えで臨むべきで、覚えてしまった答えや解法をなぞるだけの反復演習では意味がない。そのようになってしまう心配があるなから、どんどん新しい問題集に取り組んでいった方がいいと言っているのである。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?