男性の育児参加とか、家事の分担とか

前回は休日の話を書いたので、今回は平日の話を書きます。
妻のつわりが始まった1月頃からの、通常パターンを綴ってみます。

私が仕事から帰ると、妻は気持ち悪さか頭痛か腹痛で横になっています。
それでも一歳の息子への離乳食は済ませてくれています。
私はズボンだけ部屋着に着替えて、夕食を作り始めます。
まずは冷凍庫から豚肉なりを取り出し、妻に何なら食べられそうか聞いて、
キャベツなり玉ねぎなりを切ります。
お米を洗うところから始めるときもあります。

その間、息子が泣き叫ぶときは自動車を見せてなだめます。
泣き叫ばないときは、妻の枕元で遊んでいるか、妻の体に乗っかって甘えています。妻の苦しそうな声が聞こえてくるのは息子が妻のお腹に乗っかっている時なので、そういう時は駆けつけて息子を抱き上げ、赤ちゃんいるからダメだよと諭します。するとだいたい息子は泣き出します。大泣きに変わって手がつけられなくなると、やはり自動車を見せてなだめます。
そうこうしていると妻が、お腹が減って気持ち悪い、と言いながらフラフラと起きてきてソファーにもたれかかります。
ごめんごめんと言いながら夕食作りを続けます。
するとこのあたりで、くさい、と妻が言うことがあります。
なるほどと私は思って、夕食作りを中断して息子のオムツを替えます。

そんなこんなで夕食が出来上がると、
息子の妨害をくぐり抜けてテーブルに運び、妻を呼び、一緒に食事をします。息子は私か妻の足元に来ては泣くので、私は大急ぎで食事を食べ終えて息子と遊びます。

ごめんもう食べれない、と妻が言うのを待って、テーブルに戻ってその分を食べ、食器を台所へ運び、そのまま風呂場を洗いに行きます。
給湯器のスイッチを入れ、食器を洗い終える頃に、お風呂が沸きます。
この間、妻の体調が良ければ息子を見ていてくれるけど、
そうでなければ妻は布団に戻り、息子はそこに甘えに行きます。
息子が甘え方がヒートアップすると、私はそのタイミングでの食器洗いをあきらめて息子の相手をします。

いずれにせよお風呂が沸いて、かつ妻のコンディションが整った頃に、
まず私がお風呂に入って大急ぎで頭と体を洗って湯船につかり、呼び出しボタンを押します。
するとコンディションの整った妻が息子を連れてきてくれます。
最近気がついたのは、この湯船につかってから息子が到着するまでの1、2分が、帰宅後初めてくつろげる時間だということです。
しかしくつろげるのもつかの間、妻が息子の服を脱がしきる頃を見計らって、湯船から上がって洗い場でスタンバイし、息子を受け取り、洗い、湯船に一緒に入り、息子に呼び出しボタンを押させ、呼び出された妻に息子を託します。私は大急ぎで体を拭いてパジャマを着て、ドライヤーは後回しにして、妻と子のもとへ。
妻は息子に薬を塗って肌着を着せ終えている頃なので、バトンタッチして、
妻にお風呂に入ってもらいます。
私は息子にパジャマを着せ、髪を拭き、お茶を飲ませ、寝室へ運びます。
短いときは数分で寝付いてくれるけど、長いときは30分ほど抱いて揺れて布団におろしてを繰り返します。

そして息子が寝た後、少しだけ私は休憩します。
新聞をチラ見したり、ネットをチラ見します。
熱いコーヒーを飲める時間があることは滅多になく、だいたい常温の麦茶を飲みます。
そうやって英気を養ったあと私は再び立ち上がり、食器洗いの続きをして、
翌朝出せるようにゴミを縛ります。
妻がお風呂に入るときに洗濯機を回してくれるので、妻がお風呂から出る頃には洗濯が終わっており、ゴミを縛り終えた私は洗濯物を干します。
洗濯物を干しているうちに髪を乾かし終えた妻が、洗濯物を干している私のもとへおやすみを言いに来ます。
寝なさい寝なさいと妻に言いながら洗濯物を干すのを中断して私も寝室に行き、妻の布団の上に転がってきている息子を息子の布団へ移し、妻におやすみを告げて洗濯物を干しに戻ります。
洗濯物を干し終えて歯を磨くと、ようやく私の平日が終わるのです。

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以上の文章を書くのに、少しづつの時間を合間を縫って3週間かかった。
その間に妻のつわりはピークを越えて、上記ほど過酷なことは今はもう無くなっている。
つわりの最中は、私も負担が大きく精神的にも肉体的にも消耗することがあった。
それを吐き出すというわけではないが、人生で何度もあるわけではないその経験を書き残してみようと、その頃決心して書き始めた。
せっかくなので、書き直さずに記録としてそのまま投稿しようと思う。

ピークを越える前、半分冗談で自分に言い聞かせていたのは、「メスは卵を温める。オスは巣作りとエサ集め」という、カギカッコ付きで書いた割には語呂も悪く不恰好だが、そんな感じのフレーズ。
何の動物を想定したのか自分でも分からないが、もうそういうもんだと割り切って、いつ終わるかわからない妻のつわりを共に乗り越えた。
自分をマシンと化すための自己暗示みたいなものだと思うが、腑に落ちて気も楽になったように思うので、同じような境遇の方にお勧めする。

男性の育児参加とか、家事の分担とか、世間で肯定されているように私も良いことだと思う。
でも上のような生活を送る中で、育児だよ、家事だよ、と小見出しをつけるのは違和感があって、
じゃあ何なのかというと、大テーマで「夫婦生活」なのだと気がついた。
それぞれが出来ること、やるべきことをやって、生活を回していく。
夫婦の数だけやり方は違うと思うが、私たちの場合は上記のようになった。
私たちはただ自分たちのやり方で生活していただけなのだ。

つわりの落ち着いた妻は、夕食を作ってくれることが増えてきた。
それがたまらなく嬉しい。
自分が帰宅直後に食事の準備をしなくてよいという嬉しさもあるのだが、
妻が台所に立ってる姿を見るだけで嬉しいし、
キッチン越しにたわいのない会話をするのも嬉しいし、
妻の作った料理を食べられるのも嬉しい。
つわりがなかった頃のごく普通のことなのだが、そのごく普通のことがたまらなく嬉しい。
そして、私が食事を作っていたことで
もしかしたら妻もこんなに大きな嬉しさを感じてくれていたのかもしれないとふと思い、妻の料理をほおばりながら、あの頃の大変さがちょっと報われた気がした。

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