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ユキという人(の、素描)

【あわせて読みたい:これは短篇『大人の領分④佳奈』の付録です。なにやら複雑な事情を感じさせるこの人に、さまざまな角度から光をあてるこころみ。雲のように風のように、おおまじめに役者です、謎めいた世界、自然としての人間、或る愛の歌、大人なユキの、こどもの国。ほか】

ユキにはちゃんと和征という立派に普通な名前があるんですが、芸名の下の名前が悠希(ゆき)なので、こちらの名前で呼ばれたがります。キレイオヤジ系バイスタンダー俳優で、ドラマや映画にも一応出てまして、メガネをかけた融通の効かない研究助手とか(バカなのに)、女の子を悪い場所に誘い込む妖艶なおじさんとか(明るい善人なのに)、上品紳士とか(食べかた汚いのに)、パティシエしてる兄とか(辛党なのに)、爽やかパパとか(貞操観念ないのに)、ちょい役でほんとチラチラとは見かけることがあります。主には、舞台俳優。芸能人って、意外に小さいんですよね。ユキは基本、さらにその引き立て役で、男性としては小柄なほうですが、スキマ時間にガテンのバイトしてまして、体は結構、男らしいです。稽古が舞台に合わせて散発するのもあるんですが、オーディションやロケの都合で不定期に優先的な用事ができるため、普通の仕事ができません。とはいえ、ちょい役が続いてしまう時などは役者のお金だけでは食べていけないので定期収入源として年来、土地持ちの、道楽でこだわりオシャレカフェしてる知人の店で、時々いなくなるけど時々ずっといるバリスタとして、観葉植物的な立ち位置で雇われているうちに、コーヒーには詳しくなりました。

こだわり店長がこだわって選んだ白黒給仕姿のユキは、はい、キレイです。若いんだか歳食ってるんだかなんなんだか、端正な容姿のなかに、ちょっと人目を引く陰気と抜け感があって、見るとふわーっとした気分になります。姿勢もいいし、肌も綺麗だし、スッキリした短髪には自然にマットな艶があり、あと体臭が不思議で、竹みたいな、すーっとする匂いです。いちばんには挙措に力みや癖がないんですね。それで目につく。話すと声もいい。でもしばらく観察してると、あまりに癖がないのが、逆に、なんとなく、怖くなってくる。そんな人です。ユキはやっぱり、それなりにきちんと役者なんだなというか、役者してない時にはこんな風に、ものすごく雰囲気あるんですが、役者してる時は主役に合わせてきちんとオーラの出し入れをしてて、むしろ画面や舞台の上ではびっくりするほど無個性です。佳奈は役者のユキは、実はちょっと苦手。なんだか違う人みたいで、いまいち居心地がよくない。だからユキが嬉しそうにDVDとか見せてくれる時も、いまいち身が入ってません。

ユキは、お世話してくれる女の子が部屋に住みついてた時期もないわけではないんですが、それは遠い昔のこと。キレイめバイスタンダーおじさんになってからは、友達以上彼女未満の人しかいません。その「友達」も今では、泣きつきに行くとお金を貸してくれ(るか、少額ならお金をくれ)てヨシヨシしてくれる大人の女の人、カフェの下のビデオ屋の女子大生、あと佳奈くらい。そんなに頻度高くなくても生きていける人でして、連絡合わせて会うのが面倒ならお姉さんを呼ぶこともありますが、基本お金がないので、これはCMなんかでお茶の間の視聴者には小粒な、しかしユキにしてみれば大きな仕事が入って、ギャラおりた時だけ。部屋は、貧乏というのもあるんですがスッキリキレイに保ってます。女性が来たあとは結構、入念に掃除します。気分を変えたいときは飲み処やバーに行くと、お相手が見つかることが多く、おおむねスッキリキレイな自宅に来てもらうので、女性に割くお金がないことやデートができないことは、あまり気にしてません。もちろん見つからなくてもあまり気にしません。そういう日は静かに、佳奈のくれたエッチな文学書を、漢字を読み飛ばしながら読んだりしてます。ピエール・モリオンなんかのアングラエロ小説などですね。姦淫くらいは読めますが、蠕動なんかは読めないです。虫みたいに動くのかな?はい。まあ、勘は悪くないです。

念のため、くだんの「大人の女の人」・千草さん(45才会社員)と「女子大生」・紗莉ちゃん(22才教育学部)に、ユキのどこが好きか訊いてみましょうね。

千:顔と性格とセックス♡

紗:顔と性格とセックス♡

はい。ごちそうさまです。

白状しますと、佳奈の方の記述が重すぎてユキとのことをまるっと拾いそびれてしまいましたので、佳奈との出会いの話をこちらに入れておきます、火水木と同じ時間帯、同じ席に来て同じコーヒーを頼み、必ず1杯お代わりし、毎日違う服を着て、毎週違う本を読んでいる佳奈に1年サーブした結果、顔なじみになり、職業を明かすことになり、興味を持ったと言って佳奈が演劇関係の本を読むようになり、忘れ物の連絡が入り、人がいないときは一緒にコーヒーを飲むようになり、マスターに隠れて一緒に帰るようになり、ベッドで台本の話をするようになりました。デート0回、メール0通、電話番号は一応知ってます。でも、聞いたのはユキからで、しかも3回目、さらに言いますと、音声通話に至っては一度も使われていません。ちなみに、初めから確度高めだったユキが、ついに、いま休憩時間なんだけどここいい?と向かいの席に断りもなく座ったとき、もちろん佳奈の頭にはナツメくんがうっすら思い浮かばれてました。なんとまあ。

あー、すみません、結婚してます。と、佳奈は言いましたよ。言うんです、いつも。指輪しないの?と尋ねるユキに、佳奈は、家以外では自由にしてたいから、してないの。家ではちゃんとしてる。と答えた。今度は、今夜うち来る?ってきいたら来る人?と尋ねたユキに、もう少し知り合いになればね。と佳奈は答えました。二人はもう少し知り合いになり、頃合いを見て、覚えてる?ね、今夜、うち来る?と訊いたユキを、黙ってじっと見つめた佳奈は、はじらいなのかおどろきなのか、それとも期待なのか躊躇なのか、勝ったのか負けたのか、ユキは何度かこの表情を思い出すんですがいまだに判然としません、謎めいた微笑みをほんのりと浮かべ、BGMのコンテンポラリークラシックからどうにか聞き分けられるほどの、ひっそりとした声で、いいよ。と、答えたのでした。

ここで聞かずにいつ聞く、ユキが20代の頃から知り合い、某こだわりオシャレカフェのマスターの武藤さん(53)に、インタビューしてもらいましょうか。なんというかこう…お店の雰囲気から想像がつかないといいますか、オシャレカフェマスターというより、パチンコ屋の店長さんとか港のスナックの隠居親父みたいな人ですが、ガヤガヤした商店街を見下ろす、奥まった雑居ビルの4階、武藤さんのあらゆる夢を詰め込んだというこだわりオシャレカフェは、扉を開けるとぱっとひらけて意外に広く、温かい色味の照明で無垢木が基調、広めのテーブルとすわり心地のいいヴィンテージチェア、ほっこりコーヒーの匂いが漂う、静謐で、清浄で、華やかな安らぎに満ちた、大人の軽やかさと優しさを感じさせるカフェです。

柏:はじめまして。アシスタントの柏木です。今日はお時間をありがとうございます。
武:どうも。
柏:早速ですがユキさんについてお聞かせ願います。
武:バカ。
柏:はあ。
武:そのうえバカ。からの、やっぱりバカ。
柏:ええと、あのですね…。
武:俺、インテリ。
柏:はあ。あの…。
武:自分に無いもの持ってる奴には、なんとなく劣等感抱くものでしょ。
柏:つまりユキさんには、優越感も劣等感も抱いていると。
武:まあね。いや、もっと複雑なんだけどね。まあ、簡潔に言うとそうなるね。
柏:長年お付き合いなさってるとお聞きしました。
武:あいつが学生の頃からになるから、もう10年以上になるのかな。ん? 15年か? おい…なっげえな。あいつ、もう中年だもんな。そりゃ俺も老けるわけだわ。
柏:若い頃のユキさんはどんな感じでしたか?
武:普通の、一生懸命夢を追いかけてる可愛い子、って感じだったね。知り合いのツレがあいつに食われててね、まあ俺の初恋の人なんだけど、ユキくんを高給で雇ってあげてって言われて、高給で雇ったの。それがきっかけだな。まあ言われた仕事はまじめにやるし、何考えてんだか、客が来ない時なんか、何にもしないでお盆抱えたまま、ずーっと立ってられるし、いやこっちとしては仕事してくださいって思うわけだけど、賢い俺はそこでちょっと立ち止まってみたのね。俺は考えたのよ。奴を変えようとするのではなくだ、「仕事させるために奴を雇った」という文のほうの解釈を変えたっつうか。ああいうのが俺の店で、お盆抱えたまんまずーっと、立ってるのを眺める静かな時間のために、俺は奴を雇ったんだろうなと思ったわけね。ずーっと立ってるのが奴の本来的な仕事で、それで奴は文句も言わずに、あのキレーっな見てくれで、ずーっと立ってる。俺は好きな音楽を好きな店に流して、好きなテーブルに好きな画集を積んで、好きな椅子に座って好きな珈琲を飲んでる。俺は思い出を買ってるわけでも労働を買ってるわけでもなく、時間を買ってるんだろうと思った。
柏:なるほど…。いったん、客観的な情報に戻ると、お客さんがあまり来ないお店なんですね。
武:うん。ほどよく来てほしいと思ってたんだがな。なにもかも思い通りってはいかないもんだし、そこは俺には大事なところじゃあねえんだ。商売あがったりでもかまわねえし、来すぎるより来なさすぎるほうが性に合ってていいくらいだしな。奴には、暇じゃねぇのか一回、訊いたことあるよ。そしたら、何も考えてないから別に、つまらなくもないっていうじゃん。どういう状態。瞑想?高僧?こいつ、尊いわーと思ったよねあの時。
柏:それで、さっきの優越感と劣等感の話に戻るんですね。
武:部分は全体に勝てねえんだよ。人間はみんな平等で、俺が尊いように奴も尊いし、奴が尊いように俺も尊いわけだ。
柏:話が大きいようです。
武:まあ俺は、バカは自然の一種だと思ってるからな。ユキと接するのは人間関係っていうよりは、ナイアガラの滝観光とか、サバンナ周遊とか、アマゾン探訪みたいなもんだな。
柏:はあ。大きいですね。
武:大バカなだけにな。
柏:それに、危険そうですね。
武:危なっかしいよな、ほんと。
柏:初恋のかたの件もあって、デリケートな話題かもしれませんが、ユキさんの女性関係については。
武:紗莉ちゃん?
柏:の、お話でももちろん。
武:紗莉ちゃんはぽわんとしてて抱き心地良さそうな子だよ。金満家の娘みたいだから、ユキはお姫様呼ばわりして大事にしてるけど、あっちの女の格が上がるにつれて冷めて、捨てられちまうんじゃねえかなぁ。あとはあれだ、うちに通い始めた、海のものとも山のものともつかないおねーさんな。雪の女王か、蛇性の淫か、セイレーンか知れねえが、あれはやべえ。俺は客に手を出すなって言ってるが、コソコソ会ってるはずだ。あのねーちゃんが演劇にかこつけて、あることないことユキに吹き込んでんだろうよ。どうせするなら、年金や投資信託の話をしてやってほしいんだがな。他にも…聞いた限りでは六条御息所みたいなアネさんがずっといるが、付かず離れずって感じでな、付き合いは長えが、深く関わってる様子はねえな。残りはよく知らねえ。適当に遊んでるみたいだ。
柏:お詳しいんですね。
武:長年面倒みてやってるからな。アパート、みつくろってやったりもしてるし。
柏:ユキさんのこと、ご心配なようですね。
武:まあ俺も独り身で、他に気にかける奴もいねえんだ。この通り暇で、心配する余裕もあるからさ。…あいつ、どうにも、遊ばれちゃうんだよなぁ。バカだからさ、甲斐性ねえだろ。けど顔はいいからやれる女はつくだろ。だから女がいるようでいねえんだよあいつ。突き詰めると、ひとりなの。せめて甲斐性のある女、好きになればいいのにさ、世話してくるような女が嫌いなの。バカだろ。俺、奴が心配すぎてさぁ、最近、奴を受取人にして保険組もうかと思ってる。まだ思ってるだけだけど、たぶん組むと思う。でも奴はバカだから、そんなこと言ったら頼りにしちゃうだろ。いや、バカだから断るかもしれない。だから言わない。俺も大概、バカなんだよなぁ。
柏:…。凄いことにいま、気づいてしまったと思うんですが…武藤さんには、…ユキさんがとても、大切な存在なんですね…?
武:認めたかねえけど、俺はたぶん、奴のことを自分で思う以上に愛しちゃってんだろうな。バカなんだよ、俺もな。愛ってのが人をバカにしちまうんだろうが、俺はここんとこ、奴がロケとかで長らくいねえ夜なんかに店で珈琲飲むだろう、珈琲飲みながらな、だったらバカでいいやって、思うんだ。バカだからさ。あーあ、インテリなのになぁ。



大人なユキの、こどもの国。剣道でインターハイ直前までいったのが未だに自慢で、未だに反復横跳びがめっちゃ速い。字が反射的に読めないから最近のゲームが全然できない、けど、ビリヤードは得意。温泉に行くとタオルを頭の上に乗せる。反射神経で上下関係に従う。掃除が好きなのは運気が良くなる気がするから。募金の仕組みはちんぷんかんぷんだけど、チャリンが楽しいから、結構頻繁に1円玉募金する。後先考えないっていうか、後とか先とか、そもそもなんでわかるのかよくわかんない、から、目の前にいる人はすごく大事にする。音がしない夜の湖はとても怖い。たまに夢精する。ロケ弁が良いやつだとテンション上がる。バク宙ができるのは、できたらかっこいいだろうなあって一生懸命練習したから。おばあちゃん子。店や部屋に入った時、知らない人たちがおや、とこっちをじっとみる、あの感じがたまらない。謝るの苦手。好きな人に教えてもらった音楽を好きになりがち。喧嘩弱いのは、内緒。バンジーとか飛び込みとか、高いところから飛び降りる遊びが好き。女の子はたくさんいて笑ってるのがいい。自分は頭の容量決まってて、たぶん、夢を忘れない代わりに忘れ物が多いんだと思う、から、物はなるべく、持たない。




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今日は明日、昨日になります。 パンではなく薔薇をたべます。 血ではなく、蜜をささげます。