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西海岸のギャングスタラッパーが教えてくれたこと

この一週間、かなり唐突に、ヒップホップの沼にはまっていた。最初は五年に一度くらい気まぐれに訪れるマイブームだろうと考えていた。雑食の私は不定期にジャンルを変えて音楽を漁っているのだ。ことにヒップホップはキャッチーな曲ばかりでもないし、しばらくするとまた飽きるだろうと思っていた。

でも、今回のマイブームはどうも様子が違う。夜も寝ずに、時間を忘れて曲を聴いている。アーティストのインタビュー動画を見つけると、繰り返し、理解できるまで観る。まるで、なにかを必死に探しているかのようだった。

自分でもなぜこうなったかわからなかった。だけど止めることができなかった。何を食べても常にお腹が空いているような、そんな感じ。感動と深い悲しみが、交互に押し寄せてくる。たまに、屈託のない笑い声が聞こえてくる。私の感受性は、引っ掻き回されてぐちゃぐちゃになっている。

とくにアメリカ西海岸のギャングスタ・ラップは、自分でも驚くほど、私の心を震わせた。ドクタードレーに始まり、2パック、スヌープ・ドッグ、ケンドリック・ラマー。日本でも有名なエミネムも彼らのファミリーだ。

彼らの音楽について語るならば、壮絶なバックボーンや根深く続く社会問題を差し置くことはできない。貧困地域にすむ人々や、古く奴隷制時代からアフリカ系アメリカ人がおかれてきた凄惨な環境について、ここで語ることすら許されない気がする。たとえば、ラブコメ映画を観ていたって、「彼ら」に対する差別的な表現はごまんと出てくる。不気味なほど自然に、なぜゴスペルやファンクやブルースやジャズや、そしてヒップホップが生まれたか、その理由を知らしめられるのである。

アフリカ大陸から持ち込んだ彼らのルーツと、差別への抵抗、底知れない悲しみや苦しみが、種々の音楽ジャンルを生み出した。音楽の成り立ちには諸説あるそうだが、私はこの説を信じて疑わない。ゴスペルもブルースもジャズも、彼らの「血」でできている。

ことにヒップホップはこうした「抵抗」を隠さない性質のためか、往々にして、暴力的だとか侮辱的だとか評されることがある。

しかし、彼らの音楽を聴いていると、生への苦しみや葛藤、そしてさらにその奥にある「愛」を感じずにはいられない。
「自分の家族も、友達の家族も、同じだけ大切さ」という愛もある。「どんなに悪い親でも、理解しているよ、感謝している。」という愛もある。「自分の育った町をよくしたいんだ。」という愛もある。
こうした感情を、「フッド」という言葉が、よくあらわしている。単に隣近所とか地元とかいう意味ではなく、苦楽を共にした仲間がいて、そんな仲間たちと過ごしてきた「大切な居場所」に誇りを持っている彼らが、愛を込めて使う言葉だ。


言わずと知れた偉大なラッパー・2パックは、およそ30年前にこの世を去っているが、当時、ギャングあがりのラッパーが流行り、自身の犯罪や大金を掴んだことを美化する風潮が一般的だったなか、初めて自分の暗い経験やゲトー生活の悲惨さ、そして家族への愛を歌詞にした。

また、2パックの「後継者」といわれるのがケンドリック・ラマーである。何かのインタビューで、「自分は、誰かが不幸になると、いつも自分のせいだと思ってしまう。」と語っていた。スラムで生まれ育ち、たくさんの友人が殺され、貧困の中を彷徨っている。そんな中にあって、成功し、栄光をきわめんとする彼の孤独と葛藤は計り知れない。だから彼の曲を聴いていると、胸が押しつぶされそうになる。

それでも彼は命がけで、自分の十字架を背負ったまま、私たちに大切なことを教えてくれる。

「ブランド物の服を脱いでみろよ、そしたらおまえに何か残ってるか?」と。
「その身ひとつ」とは仏教でも大切な教えだが、私にはケンドリックが、神か仏に見える時がある。

ヒップホップを聴きなおしたこの一週間は、つらかった。差別や貧困に苦しむ人の音楽を聴きながら、自分は「マインドフルネス」に励み、ゆとりのある時間を過ごそうなどとは思えない。けれど、新しい自分になるために、大切なことに気づくために、必要な時間だったと思う。そういう意味では、何百時間も「瞑想状態」だったのかもしれない。

まだ私には、大それた慈善活動なんてできないし、寄付さえまともにできない。
しかし、身近にいる人を愛し、幸福を願うことはできる。それができたら、その周りの人を。そしていつか、自分の生まれ育った町を。

R.I.P. 2Pac
R.I.P. 若くして亡くなった彼らの友人、その家族、そのまた友人たち…

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