縁が切れた親戚ともう一度繋がる

家を出て、縁を切った叔母

15年ほど前のことです。

母方のおじいちゃんが亡くなって
おばあちゃんは悲しみに明け暮れ

少し鬱っぽい症状が現れるようになりました。

そんな頃、私は中学生。
いとこの中では一番上の学年でした。


おじいちゃんがまだ生きていた頃は
年末年始など、よく親戚で集まって

お泊まりして、ご飯を食べたり、遊びに行ったりと
蜜な交流がありました。

が、事は唐突に起こりました。



私もまだ学生だったので
大人(親、叔母たち、おばあちゃん)の間で何が起きたのか
さっぱり分かりませんでしたが

叔母(末っ子の3女)が突然
縁を切って、身内からの連絡を一切断ちました。


原因となったのは、
3女が習い始めたという心理学がきっかけだったと記憶しています。

その頃の長女(私の母)・次女、また、おばあちゃんには
それが一体どんな心理学か分からず、

なんでもかんでも心理学と結びつけたがる3女を
煙たがっていたのを覚えています。

「なんだその心理学は。宗教か?」と
彼女の学んでいたものを、家族がみんなして責めたてました。

私には、それが悪いものには思えませんでした。

ただ、人をジャッジするために使うのは何か違うと思ったし
自分の人生の不具合を家族のせいにするために心理学を使っているのも
本質とズレているんじゃないか…と感じていました。

これは後々になって気がついた事ですが
彼女が習っていたという心理学はアドラー心理学で
今となっては「超」がつくほど人気のある心理学です。

それを15年前から習っていた訳ですから、
受け入れられなくて当然と言えば当然だったのかもしれません。


大人たち全員がロウアーを選んだ日

そんな3女が、家族と縁を切って誰とも連絡を取らなくなった時。

あの時の事は、私の中で未消化なまま 長い年月が経ちました。

なぜそうなってしまったのか?
その時まだ中学生だった私には理解出来なかった。

でも今振り返ってみると、

あの日、
大人たち全員がロウアーセルフを選んだんだ

ということが、今なら分かります。


ロウアーセルフというのは
未成熟なエゴのこと。

つまり、自分の中に存在する「子どもな意識」のことです。

ちなみに、成熟したエゴも実は存在していて、
それをアダルトエゴと呼びます。
(これは練習して育てていく必要があります。)


私の叔母(3女)が中心となって起きた出来事でしたが、
彼女が家を出ると決断するまでの間


私のおばあちゃん、母、次女(私の叔母)
そして3女(私の叔母)

全員が、自分の感情を持ちきれず
相手に投げつけることを選んだ

という事実が、そこにあると感じています。


おじいちゃんが亡くなったという現実を
おばあちゃんは受け入れられなかったし

怒りを誰かにぶつけたり
自己憐憫に陥ることで 自分を保とうとしていました。

一番近くでそれを見ていた次女は
おばあちゃんから当たられることも多く
それでもおばあちゃんのお世話をしなくてはならず
本当に苦しい時期だったと思います。

でも、次女(叔母)は外に助けを求めるのではなく、
私ばっかりがしんどい想いをしていて、
他の姉妹は全く協力もしない。と決めつけ

しんどくて持ちきれない感情を
身内にぶつけることで、分かってもらおうとしました。


ぶつける対象は、私の母になることが多く
私の母も短期なので、衝突は絶えなかったです。

そうしたフラストレーションが
心理学を始めた3女に一挙に向きました。

最終的に
「自分のせいだ」「相手のせいだ」とジャッジを続けていた3女が
それを引き寄せて、縁を切ることを誰かのせいにした瞬間が、それでした。


このようにして
それぞれが、それぞれのやり方で

自分の感情を持ちきれないことを
誰かにぶつけることで、

何も解決しないまま
3女が家と縁を切ることを決断していきました。


未消化だった私自身の感情

ここまでは、一家の中で起きていたことを中心に書いてみましたが

私自身のことにも触れていきたいと思います。


あの時の事は
定期的にふと思い出す瞬間があります。

その度に
私の中でまだ分かっていなかった部分に光が当たり
少しずつ理解が入って楽になってきているという感覚があります。


今日もまた
叔母や従姉妹は元気かな、と
ふと思い出しました。


上で少し触れましたが
私は叔母がやっていた心理学に対する偏見がなかったし

一家のひとりひとりがみている世界が、
自分のイメージの中で決めつけている事ばかりで

「3女はおかしくなってしまった」と聞いても
それって本当にそうか?と思っていたので

「3女は、本当はどんな考えの人なの?」と
本人との対話を唯一続けてきました。

そんなこともあってか
私だけは縁が切れず

3女の家族と連絡が取れる
唯一の存在が私です。


私は小さな頃から
3女にとても愛されてきて

歯科助手だった彼女に
優しく歯磨きしてもらうのが大好きでした。

まだ小さな私に
「なおはどう思うの?」と
対等な立場で話を聞いてくれる存在でもあり

動物好きな彼女に
おばあちゃんちにいる犬との関わり方を学んだりと

たくさんいろんな形で愛されてきたのを覚えています。


あの日

3女が家と縁を切ると出て行った日
私は引き止めたくて仕方なかった。

今まで仲良くしていた3女の娘(私の従姉妹)とも
会うことがなくなり

しばらく何年も音沙汰なし。


この一家の壊れた関係性を
私がなんとかしなくちゃと思ったし

3女のことを
その娘である (私にとっては)いとこのことを

私はなんとしても助けたいと思っていました。


でも、よくよく考えれば
3女の叔母は私より何十も年上で

彼女が選んだ選択だったわけで


言葉を選ばずに言えば
私には関係のないことでした。

それに、

助けたい助けたいと思って来たけれど
それをどうすることも出来ない私自身が

一番助けを必要としていたんだな

ということに今更ながら気がつきました。


そして3女の叔母は
過去にいろんな形で 私を助けてくれた人でもありました。


よくよく考えてみれば


あの時の出来事でこじれた家族関係は

当事者の大人たちの問題で


子どもだった私は
それでもなんとかしたかったけど

なんとかしたいと思うくらい
みんなのことが大好きだったけど

子どもの私には荷が重くて
子どもがなんとか出来る問題でもなかったんだな

と今では思えるようになりました。


3女の叔母に
とてもよくしてもらっていた記憶の通り


私がなんとかしようとするのではなく、

また、あの柔らかい感覚の中で
彼女と繋がりたいなと


今はそう思っています。


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