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病気がくれたギフト

始まりのキッカケ

ここのところ、ずっと体調を崩していました。
始まりは腰痛。長旅だったこともあり、「仕方ないかぁ」くらいにしか思っていなかったのですが、その翌日には不正出血。
普段、生理痛もなければ、排卵期の出血や痛みもない私にとっては、イレギュラー案件でした。
旅先だったので、帰ってきてから病院に行くも、出血があると検査出来ないと言われ、原因も分からず、血を垂れ流し続ける日々が始まりました。
この時から、約1ヶ月、出血、腹痛、腰痛、発熱、貧血、食欲不振、胃腸不良…という症状で、寝たきりになりました。
…と、ここまでが前置きです。笑
体の不調は本当に辛くて、大げさに思われるかもしれませんが、私死ぬ?ってよぎるくらい、消耗しきっていました。
けれど、ここから書く話は、心のことについてです。笑
なぜなら、今回の体調不良が、私にとっては単なる体の不調ではなく、心(や感情)のアンバランスさから来ているものだと、体調を崩す前から分かっていたからです。


元凶となった幼少期

関係ない話に思うかもしれませんが、ちょっとお付き合いください。私の家庭環境の話です。
私の両親は、金融系の会社で知り合い結婚。母は結婚して退職しましたが、父はずっと金融業界で生きてきました。父の実家はかなり田舎で、ニワトリを育てて、自分の手で首を折って鶏肉にするくらい、都会とはかけ離れた家でした。だからなのかは私には分かりませんが、父はお金に対してとてもシビアで、コンプレックスも感じていたんじゃないかと思います。
自分と同じ思いはさせたくない、と思うのが親なのでしょうか。小さな頃から、両親は私にとても厳しかったのを覚えています。
例えば、物心ついた4歳ごろには、電話での受け応えは完璧でした。
「はい、〇〇でございます。ただいま母に代わりますので、少々お待ちください。失礼致します。」
テンプレのように、小さなころからこんな電話応対をしていました。今思うと、寒くて鳥肌が立ちます。笑

世間体をとても大切にする親だったので、礼儀や行儀にもとてもうるさかったです。
あまりにうるさすぎて、いつからか友達の家に遊びに行っても、楽しめなくなっていました。
母が迎えに来て、帰る時に、ダメだったところを全部叱られながら帰らなければいけなかったので、怒られること前提で遊びにいくことが染みつき、全然楽しめませんでした。それよりも、靴を揃えて上がること、ちゃんと挨拶をすること、出されたおやつには手を出さないこと、親同士の会話には口を出さないこと…などなど、絶対帰りに言われるであろうことを気をつけながら過ごすことで、頭がいっぱいでした。

けれど、帰りに聞かれるのです。


「楽しかった?」

…楽しいわけないダロ!笑
(今ならそう思える。笑)



また、世間体も然ることながら、夫婦仲の悪い家庭でもありました。暴力を振るわれたことはありませんが、言葉や態度での暴力は絶えませんでした。
夫婦間のことかもしれないけど、小さい子どもがそれを見て「怖い」と思ったり、「パパとママ、仲良くして!」「私のせい?」と思うのは、同じような環境にいた人なら、うんうん、そう思うよね、と共感してもらえるのではないかと思います。

私の場合は、飛んで火にいる夏の「虫」でした。
パパとママの間に入り、やめて!と、何度泣き叫んだことか…。そのうち、お前は黙ってろ!と私に怒りの矛先が向いたり、アンタのことでこんなに悩んでる!と責任転嫁されたり。父に口で勝てない母のストレスが私に向いたり。父の酒でヒートアップした怒りが意味もなく私に向いたり。

そのような出来事が日常で、家に居場所はありませんでした。唯一、おばあちゃんへの電話だけが私にとってのライフラインで、精神が持たないくらいに泣きじゃくった挙句、おばあちゃんに助けてと電話する、というのがお決まりになっていました。

ですが、私が小学2年生のころ、母が原因不明の神経痛により入院します。いつも心の支えだったおばあちゃんが、愛知から、当時住んでいた愛媛まで、助けに来てもらわなければいけないような状況でした。ですが、2週間ほどでおばあちゃんは帰ることになります。
酒を飲んだ私の父に、毎日罵倒され、泣きながら帰って行きました。今でもその姿はショックで忘れることが出来ません。
そのようにして、私はだんだんと誰も信用出来なくなり、また、感情を閉ざしていきました。

過去と現在の接点


さて、話を戻します。
書きながら、思ったより回想が長くなってしまい、回収出来るのか少し不安になりましたが、戻ってこれてよかった。笑

この、「感情を閉ざす」しかなかった体験で溢れていたことが、まさに今回の体調不良の原因だったと私は考えています。
もともと、ヒーリングを仕事にしているのもあって、職業病のように、日々内観することが習慣…というよりクセになっています。
内観というのは、自分を俯瞰して考えたり、思考を変える、というだけでは実は足りず、自分の感情を感じたままに感じること(時には体を動かしたり。)なども必要です。

感情というのは、筋肉に蓄積されます。また、感情の種類(自分の感情なのか、誰かに対する感情なのか)によって、機能するチャクラが違います。
私の場合、自分の感じていることを感じてはならない、と閉ざしていたので、第2チャクラとの関係を見る必要がありました。まさに、生殖器があるあたりです。
どうしてもこの辺りを緩めたり、感じたりすることが、私には難しく、いろいろ試してはいましたが、リリースすることが出来ずにいたのが、ここ2〜3年です。
腰痛に始まり、不正出血、腹痛…と、症状が出たことで、ようやく自分の子宮の位置を感じることが出来、痛みは苦しいものの、内心少しホッとしていました。

肉体的には、毎日とてつもない痛みに苦しみました。
ですが、痛みの原因はまだ分からないけれども、なぜこれが引き起こされたかの心的原因に心当たりがあったため、あまり感情的に揺れることはありませんでした。

人は、過去の体験を、大人になってから再創造して学びます。過去の誤解を紐解いたり、溜め込んだ感情をリリースしたり。そうした小さな「解放」を繰り返すことで、同じ類の困難が現実に起きなくなっていきます。肉体の不調も同じです。
なので、不具合に気が付いたら、それに紐付く過去を呼び起こし、新しい体験を通して、理解を入れていくのが近道です。

私の過去は、今思ってみても決していいもの、幸せなものではなかったけれど、それだけではなかったはずです。子宮あたりの痛みを頼りに、あらゆる可能性を持った状態で、過去と向き合うのです。

父はアルコール依存気味でしたし、それは今も変わりません。言葉も態度も暴力的で、暴君主のよう。

けれど、私が気が付いたのは、幼いころ病弱でよく寝室で寝ていた私を気にかけ、ふすま越しにテレビを見ている父の記憶でした。
それを思い出した瞬間、体もその感覚を思い出します。心細かったあの時、言葉などのコミュニケーションはないながらも、ずっと近くにいたのは確かに父でした。

私は愛されていないのかと思っていました。
会えばジャッジされ、怖くて震え上がっていたのに、父にはまだ私への愛があったことに気が付いた瞬間でした。
その時、「父には私への愛がない」と誤解したのは、母が男性への嫌悪感を抱いていた感覚と、私自身が同化してしまっていたからだということにも気が付きました。
なるほど。このようにして、歴史はくりかえすのか。

私は愛されていない。産まれてこなければよかった。と、幼いこと何度も思っていたことを思い出しました。
でも、産まれてきたことを、実は祝福されていたのだと体感した時、自分を愛するとはどういうことなのか、感覚としてようやく腑に落ちました。

子宮あたりの痛みと一緒に上がってきた、心細い感覚が手がかりとなり、こうした理解が入ったことで、自分に対して向ける愛に、深さが増しました。

他にもたくさんの体験と気づきがありましたが、書ききれないので、また機会があれば書こうと思います。

病気がくれたギフト

今回のことで、病気になる前と、今とで、明らかに変わったことがあります。
それは、バランス感覚です。

今までの私は、何かやろうとすると、すぐ背伸びして力が入ってしまったり、逆に何かを頑張るのが怖くて動けなくなったり。
別の言い方をすると、男性性と女性性のバランスが取れておらず、どちらもネガティヴな性質が出やすかったです。

今は、無理しない範囲の感覚が分かります。
また、思考と感覚のバランスにも気がつきやすくなったので、思考に寄っていきそうな時には、感覚に戻り、リラックスしやすくなりました。

等身大の自分をジャッジすることが圧倒的に減り、生きやすくなりました。等身大でいることが、どれだけそれだけで美しく、価値のあることか。そして、その状態だからこそ湧き上がってくるエネルギーなのだと分かったのは大きな収穫です。


新たなチャレンジ

まだまだ病み上がりですが、たまたま誘われて行ったワークショップが、今回の話の延長線上の出来事となりました。
古武術のワークショップだったのですが、力を入れなくても相手を自在に動かすことが出来ます。
実際に私も技をかけてもらったのですが、先生の気の使い方ひとつで、全然力が入らなくなってしまい、意のままに動かされてしまいます。不思議!

実際にやってみる体験型ワークショップだったのですが、ヒーリングと通ずることがありました。

丹田やハートを意識すること。
これはヒーリングでもさらに詳細に感じ分ける訓練を日々やっているので、とてもしっくりきました。

今回とても勉強になったのが、力んでいると相手がビクともしないということです。

気がスムーズに意識出来ていて、思考に入らずにいれる時と、力んでしまう時と、明らかに体感が違います。

肉体を通して、男性性と女性性のバランスが取れている時と、そうでない時の違いを体感した!という感じです。

この感覚が掴めたおかげで、仕事などでも自分が進めて行きたい方向に、力んでやろうとしていないか?どこか無理が生じていないか?感覚的に分かるようになったことも収穫です。

ヒーリングにも役に立つし、ヒーリングとはまた違うエネルギーの使い方を学べるのもおもしろい!
ということで、古武術ブーム。

何かを極めたい!という欲が強い私には持ってこいかもしれません。

まとめが古武術かよ!って感じですが笑
今回の病気があって、たくさんのギフトがあったことには違いなく、古武術は、ワクワクが感じられるもののひとつとして新たに出会った、そのうちのひとつのギフトでもありました。

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