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私がオーケストラが好きな理由

今、「子どもオーケストラを作りたい」っていう私の夢が、現実に向けて少しずつ動いてきているのを感じている。
社会人になってから、ずっと自分がしっくり来る仕事を探してきて、ここ数年でようやく自分らしさが発揮できる働き方が見えてきたんじゃないかなと感じる。

ぶっちゃけ、「子どもオーケストラ」にこだわる必要は全くなくて、子どもたちとの関わりを通して、本当にフラットで惜しみない関係性を築けるコミュニティであればなんでもいいんだと思う。だから、他の活動を通して、同じようなことをしている人たちを見ると、自分も協力したくなってしまう。

だけど、オーケストラがいい理由も確かにあって、そしてそれは、理屈を捏ねた理由じゃなくて、私が生きてきた過程で「私自身がどう感じてきたか」によって形成された価値観がベースにあるよっていうだけの話だと思う。
けど、音楽とか、オーケストラと今まで無縁だった人たちからしたら、音楽をやるとか、オーケストラを聴くとか、全く良さが分からない世界でもあると思う。

そういう意味では、私はすごく恵まれた環境にいたんだと思う。けど、恵まれた人にだけ与えられた特権ではなくて、私がやりたいのは、「誰でも」音楽や楽器に親しめて、それを共有しながら共に成長していける環境作りだから、私がどうして音楽やオーケストラがそんなにも好きなのか、シェアしてみたいなと思った。

全然出番のないピアノ

私が小学1〜4年生まで通っていた小学校には、1クラスに1台のアップライトが置いてあって、休み時間になると、誰でも自由に弾いていい環境だった。それまで先生が弾くものだと思っていたピアノを、同級生の友達が弾くのをみて、私も習いたいと思った。
それがきっかけで、小学校1年生の秋くらいから、親に頼み込んで、私もピアノを習うことになった。

「ピアノを習いたい」

それまで色んな習い事をさせられては辞めてきた私が、最初で最後に頼んだ習い事がピアノだった。
小学生の頃は、ピアノを習っている友達が多かったけれど、中学に上がると数がめっきり減った。多分、中学受験の時に辞めてしまったり、弾きたい曲を弾けるレベルに達するまでの練習がうざくなって辞めてしまった子たちが多かったんだと思う。
だから、中学に入る頃には、まあそこそこピアノを弾ける存在になっていた。

学校行事とかで伴奏を頼まれたりしたし、中学くらいから先生も弾きたい曲を自由に弾かせてくれ始めたのもあって、練習が楽しくなってきた時期でもあった。中学の頃はバスケ部だったので、それこそまだオーケストラとはあんまり縁がなかったのだけど、中3でバスケを辞めて、さあこれからどうしよう?という時に、私にはオーケストラ部しか頭に思い浮かばなかった。

今までピアノも弾いてきたし、ピアノでオケに入れてもらえばいい。
そのくらい軽い気持ちで入部を決めた。入部した時期は、中3の冬で、元々部員だった人たちはみんな、春がけにある定期演奏会に向けて練習に励んでいた。
そんな中途半端な時期に入部して、ましてやオーケストラではコンチェルトくらいしか役目のないピアノパートの私は、もうとにかく暇を持て余した。

唯一入れてもらった曲は、ヴィヴァルディの四季、春。
たった一曲、しかもキーボードのチェンバロっぽい音で、音量もほとんど聞こえない。
「これじゃ部活来てる意味ないじゃん!!」と退屈した。
たまたま仲の良かった友達が、チェロを弾いていて、少し弾かせてもらったらすごく良くて、私もやりたくなって、顧問の先生に「チェロがやりたい」と言ったら、「人数が多くて出番はないだろうし、お前は背が高いからコントラバスだ」と言われて、すごくがっかりして、先生に噛み付いた。笑
「あんなでっかいだけの楽器、聞こえないし、弓の持ち方も他の楽器と違ってダサいから嫌だ!」ってマジで思ってたんだけど、結局渋々コントラバスのパートに入ることに…。

ピアノって全然出番ないじゃん。
入ってようやく気がついた中3の冬だった。

ピアノは1人でオーケストラなんだから!とオケを馬鹿にしていた

コントラバスのパートに入って、まずは楽器の持ち方から教えてもらう。
コントラバスは2メートルくらいある楽器だから、基本的に、ちょこんと少し腰掛けるだけの椅子に、ほぼ立ちの状態で演奏する。だから、練習するときは立ちっぱなしのことも多い。
立った状態で、楽器を持ってみる。重いし、意外とぐらついて、持っている左手を離したら楽器が倒れてしまう。弦もすごく太いから、ちょっとおさえるだけで指の皮がイカれそう。ものの20〜30分ほど弾いただけで、初日は目眩がして、クラクラしてしまって、座って休んだ。これは、やっていけるんだろうか…。
これが私とコントラバスの出会い。

ピアノを今まで練習していたので、楽器自体の飲み込みは早かった。
音符はもちろん読めるし、音階が弾けるようになれば、あとはどこに何の音があるか聴けば分かるから、1人で勝手にサクサク練習を進めて、あっという間に実際の曲の楽譜をもらうことができた。

練習自体は楽しくて、少しずつ弾けるようになるのも楽しかったし、自分のパートだけでは伴奏ばっかりなのに、みんなと合わせると色んな音がする中に自分の音も鳴っていて、すごく楽しかった。

だけど、肝心なことは何にも分かっていなかった。
特に、コントラバスって縁の下の力持ち。支える側の楽器のはずなのに、当時尖りまくってた私は、ガンガン「私の音を聞けー!ほらこんなに上達したぞ!こっち見ろやー!」くらいガツガツ弾いていて、それがいいことだと思っていた。
しかも、自分で言うのもなんだけど、飲み込みは早い方だったから、1人ずつテストするオーディションでは、入ってまだ半年の私が、中1〜高3までの中で一番になってしまい、並び順の先頭になってしまった。そして、それを当たり前でしょ?くらいな気持ちでいたから、同じコントラバスパートのメンバーに嫌われて、みんなに無視されたし、楽譜も2人で一つ見るはずなのに、私だけ1人で見ないといけなかった。要するに仲間はずれ。今考えたら仕方ない。協調性なさすぎたよ、私。

ピアノはある意味、1人で完結してしまう分、独りよがりで弾いていようが、誰も何も言わない。誰かに合わせる必要もないし、お気楽だった。
なのに、オーケストラに入ったら、得意だと思っていた音楽が、人間関係が下手すぎるせいで全然上手く行かなくて、撃沈した。
そう。オーケストラって、人間関係が大事なんだって、すごく身に染みた体験だった。

改心した…はずでした

人間関係が悪くなっても、腕前さえあればやっていけると、それでもまだどこか信じていた私。でも、一番になったことで天狗になっていた私は、練習もサボり気味になった。そしたら、その数ヶ月後の演奏会では、オーディションの結果、3番目だった。納得いかなかったから、先生に「なんで私が一番じゃないの?」と、また食ってかかった。笑 少しは学べよって、今なら思う。笑

先生は、一番になって天狗になっている私をよく見ていたから、腕前ではなくて、私の態度を見て順番を決めていた。私は負けず嫌いなので、そこから改心して、ものすごく練習するようになった。誰にも何も言わせないくらい上達すれば、みんな納得するはずだと思って、朝練も始めて、夏休みには2メートルの楽器を背負って持ち帰ってまで練習した。
高校2年生の頃、私ともう1人の同級生が最高学年になった。コントラバスは人数が少ないから、高3の先輩がいなくて、私たちのどちらかがパートリーダーになるんだけど、私たちはずーーっと張り合っていた。
彼女からしたら、「途中からポッと入ってきたやつがしゃしゃんな」と思っていたし、私は私で、「練習もろくにしない下手くそがしゃしゃんな」と思っていたから、それはものすごくギクシャクした。後輩たちも、どっちの先輩につけば安全だろうか、と、すごく気を遣っていたと思う。

結局、やっぱり人間関係で躓いたままだった。

初めて正面からぶつかってケンカした

そんな中、お互いライバル意識があって、冷戦状態だった同パートの同級生と、初めてケンカした。

一言言ったが最後、お互い今まで言わなかったけど秘めていた想いが、我慢出来ずにボロボロとこぼれ出た。

「途中から入ってきたくせに一番前に座んな。」
「うるさい。お前だって練習もろくにしてないくせに威張んな。」
「私はずっとこの楽器やってきたんだから敬え。」
「音楽のこと何も分かってないやつにとやかく言われたくない。」

もう、とにかく言い合いして、最後の方はお互い泣いてた。笑
どうやって和解したかは、残念ながら覚えてないんだけど、結局お互いが何を思ってるかよく分かったし、ケンカした後は、お互いがお互いの存在を認めることが出来た。それで、2人でもっと話して協力していこうっていう方向を目指すことにして、その子とそんな関係になれると思っていなかったから、その時の私はすごく嬉しかった。
そのことが転機になって、私は色んな学年、色んなパートの人たちと、積極的に関わるようになっていった。

ようやく分かり始めたオーケストラの醍醐味

色んな人たちと関わり始めると、それぞれの楽器のことや、その楽器を演奏する人についても色々と見えてくることがあった。

今までは自分のパート譜だけ見て練習していたけど、課題になっている曲のスコア(オーケストラ前パートが載っている楽譜)を全曲揃えて、読み込んだ。

曲がどんな構成、進行になっているのか。
何調で、どこで転調してるのか。
どことどこのパートが同じ形なのか。
どのパートが掛け合いになっているのか。
どの楽器がメロディで、どの楽器が伴奏、リズムを担っているのか。

とにかく、分かる限り全部書き出して、そして自分のパートと照らし合わせて、自分のパートがその瞬間どんな役割を担っているのか理解して、他の楽器にまで気を配る。
タイミングを合わせるために、アイコンタクトする他パートと連携を取る。
同じ進行をしている楽器同士で集まって練習出来るように先生に練習方法を打診したり、パートごとの練習では、コントラバスとほぼ同じ音を追っているチェロも引き連れて一緒に練習したりした。
私が勉強したことを全てみんなと共有して、曲の抑揚や弾き方など、なぜそうするといいのかという根拠までみんなと共有したことで、パート全体の活気も高まった。

お互いの音を聴き合う。
言葉にするとすごくシンプルなことだけど、これって人間関係のことだと思う。
練習するのは大前提。練習だって、時間もかかるし、成果が見えずに苦戦することだってある。これは自分と向き合う時間。
だけど、オーケストラをやるってことは、オケのメンバー全員と、本番言葉を交わさずに意思疎通して一つの作品を演奏するために、本番前の練習期間に、どのくらいお互いを理解するためにコミュニケーションを取って、どのくらい理解して、どのくらい尊重し合って、自分の役割を果たせるか?にかかってる。
本番だけ見てると「すごーい」で終わっちゃうけど、実は裏ですごくたくさんのドラマが詰まってる。

また別の機会に話したいんだけど、ここに「指揮者」が入ると、また変わってきて、指揮者が変わると、演奏…と言うか、同じオーケストラなのに別のオーケストラみたいになるのも、面白さの一つ。

私がオーケストラを通して子どもたちと共有したいこと

私自身、楽器を通してすごくたくさんのことを学んだし、色んな経験をさせてもらった。

そもそも、やっぱり音楽をやるっていうことは、ある程度の忍耐が必要になる。上手く弾けることの方が少ないし、上を目指そうと思えばキリがない。
ただ音を弾くだけじゃなくて、技術的なところを極めたり、曲をより理解したり、音楽性を養ったり、自分の演奏だけでも学ぶことはたくさんある。

私が楽器をやってて良かったって思うのは、意識的に体の使い方を考えるから、楽器以外のことでも意識的にどう体を使ったらいいかがすんなり分かること。
それから、楽譜を読む力が、数学など、論理的に考えるところに応用できるところ。
練習する忍耐力、集中力が、他でも使えること。
などなど、実は音楽以外のところでの方が役に立っているかも、と自分で思うくらい、楽器を学ぶ価値は大きい。

そこに加えて、オーケストラになってくると、今回ずっと話しているように、やっぱり人間関係が育まれる。
私がモデルにしたいと思っているベネズエラのエル・システマと言うオーケストラでは、縦割りな座り順になっているのも、ぜひお手本にしたい。
ある程度弾ける上級生が、初心者の子の隣に座って、上級生が下の子に教える。教えることで学ぶこと、教えてもらうことで学ぶこと。どちらも関係性を学ぶ上て大切な経験になると思う。
先生に教えてもらうことだけでなく、プレイヤー同士で主体性を持って、時にはぶつかりながら、関わっていけるのは、オケに関わる人の特権だと思う。
エル・システマでは、オーケストラを支えるために一緒に活動している大人たちと、オケに参加している子どもたちの関係性が出来上がってきた時に、家庭の悩みや、学校での悩みなど、自分のうちに秘めていたような悩みを打ち明けてくるようになった、という話も書いてあった。
親でもなく、先生でもなく、子どもたちが頼れたり、愛情を注いでもらえるような環境にもなったらすごく嬉しいし、そこを目指したい。

子どもオーケストラを作るための、心の勉強をしています。
クラウドファンディングに挑戦中ですので、ご支援いただけたら嬉しいです。
よろしくお願いします!


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