見出し画像

映画「怪物」を観て思い出したこと。親はとてつもなく強くて弱い。



犯人はいない、皆それぞれの背景がある。

なんで、私がそう思うようになったか?
とこの間、友達に聞かれた。

やっぱり私は、長男の存在が大きい。
長男が発達障害かもしれない、と思った時
そうであってもそうでなくても、全力で受け入れたいと思った時
長男の考えてること
感じてることを知りたいと思った。

本当の意味で長男の視点から
世の中を見てみたいと思った。

実際はその人と入れ替わらない限り、相手の視点で物事を見る事なんで出来ない。

相手の事を思って、想像して、
その立場に立って、
とよく言われるけれど
それは、こちらの妄想、仮説にしか過ぎない。

本当のことは本人にしか分からないし、感じられないのだから。

でも、どうにかして長男の見ている世界を見てみたいと思った。
そうすれば、理解不能な言動に腹を立てたり、
自分の子育てが間違っていると悩んだり、
すがりつくように育児書を読み漁って、
その通りに出来ない自分を責めずに済むかもしれない、と思ったから。

正直、私は限界だった。ギリギリだった。
もうこのままいけば、虐待してしまう。

そう思ったから、長男の世界を見てみる
という選択しか残っていなかったのかもしれない。

そんな事を、映画を見ていて思い出した。
子どもに私が何気なくかける言葉、私が感じている「当たり前」
それは時に子供達を生きにくくさせたり傷付けてしまったりしているのだと思う。

いくら親と言っても別の人間。
摩擦なく一緒に生きていくのは不可能なのかもしれない。

親は、いや、主語が大きいな。
少なくとも、親になった私は、
とてつもない強く、とてつもない弱くなった。


子どもの為なら、自分が想像する以上の力が出る時もあるし
子どもの事なら、小さなことでも必要以上に心配になる。不安になる。

こうやって、親は子どもを育てながら心を揺さぶられてどんどん成長させてもらっている。

長男は今、5年生。
映画「怪物」に出てくる子ども達と同じ年齢。

とても危うくて揺らぎのある年齢に差し掛かっている。
親として、出来ることはなんなのか、
考えるのをやめずにいたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?