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私にあなたは救えない。入り込めない。入り込みたくない。

ジンバブエに来て9ヶ月がたち、この国の経済状況はますます悪くなるばかり。ほとんどのものを輸入に依存しているため、外貨が必要で、現地通貨の価値は下がるばかり。これは、生活していると肌で感じられるのだけど、なかなか説明が難しい。来た当初、8ドルだったタクシー代。この9ヶ月で今では55ドルだ。

「ジンバブエの人々は人的要因による飢餓の段階に徐々に近づいている」
年内に800万人が影響を受けると警告。物価上昇率490%のハイパーインフレと不作が合わさったことを要因に挙げた。地方では農作物が干ばつの影響を受け、現時点で「550万人という驚くべき規模の人々」が食料不安に見舞われている。都市部でも220万人が食料不足に直面するとともに、保健・医療や安全な水など最低限の公共サービスを受けられていないとした。引用元はこちら

紛争が起こっているわけでもないのに、貧困でもなく、「飢餓」に近づいているのだ。

アフリカの文化として、自分だけ一人ご飯を食べていて、周りの人にあげないというのは失礼に当たるのだそうだ。必ずシェアをする。
私がこれを知らずに周りにあげなかったから、この話を教えてもらった。

私は、活動先の学校の学食のジンバブエのご飯が好きでないので、お昼は自分の部屋で簡単に日本食を作って食べる。

先週は同僚が3人不在で、生徒の提出物を大量に受け取る予定があったので、オフィスを離れられず、仕方なく学食のジンバブエご飯をオフィスで食べていた。最近は学校が肉を買えないので、週に二回だけ肉が出る。その日がそうだった。
「ああそうだ、人にあげなきゃいけないんだ」と思って、小さい鶏肉3ピースのうちの一つを部屋にいた同僚にあげた。
そのあと生徒が一切れ欲しいと、小さい声で話しかけてきたので、あげた。
肉がわけやすく3つに分かれていたから人にあげたが、同じ一皿から手で分けあって食べるのは嫌なので、大きな鳥1ピースだったらあげるのをためらったかもしれない。

ジンバブエの主食のとうもろこし粉を練ったもの(サザ)と、ケールのような野菜を油で炒めたもの、フライドチキン。正直、肉がないと食べれたものではない。ジンバブエ人でもそれは同じ意見のようだ。いくらお腹を空かせている人が多いと言っても、私が、肉の無いサザと野菜の組み合わせをあげようものなら、「肉がないなら要らない」と断る人もいた。

以前に、ジンバブエの伝統楽器を習っていて、そのジンバブエ人の先生に日本と同等の値段を払っていた。一時間2000円(US20ドル)と交通費だ。
彼は、私がレッスン前に何か食べていても絶対に分けてとは言わなかったし
私が「食べる?」と聞いても断った。
お酒を奢ったことは二回ほどあるが、その都度何杯も奢ってくれと求められた。私のように協力隊として日本人女性が何月に新たに来るらしいと言ってしまったら最後、「紹介してくれ」が止まらない。数ヶ月前に言ったのだが、つたない英語で「忘れるな。日本人女性が欲しい」といまだにメールが来るのだからもうすっかり嫌になってしまった。

「酒、女」を連発されるのが嫌で、他の先生を紹介してもらう。
しかし結局その人も、どこか日本人女性に憧れを持っていた。
レッスン代が彼の生活費になるので、あまりに前のめりに来られて困ってしまった。
私は、結局楽器を習うこと自体から足を洗った。
体調が悪くてレッスンを前日にキャンセルしたら、Facebookで地方から首都に行き、野外やプールで遊んでいる様子を上げながら、「子供の学費が払えない」と言われて、
なんだかもうよくわからなくなり、すっかり嫌になってしまったのだ。
そのあとは、キリスト教の教訓みたいなメールが毎日送られてきた。
これを見て改心せよ、ということか。

酒、金、女、子供、宗教。他人の嗜好や生活の実態をシェアされ、私はそこに入り込みたくないと思った。

これは私のエゴかもしれないけど、差し出したくない人には差し出せない。
でも、お金の使い用はそれぞれだ。もし差し出したなら、食べ物に使おうが、酒、タバコに使おうが個人の勝手だ。

でも、やっぱりお腹を空かせた子供に言われたら、差し出してしまうのかもしれない。酒やタバコやってる人に差し出したくないのは何でだろう。そんなのやってるんだったら、節約して食べ物に回せ。
それも本人にとっては、食べ物より大事なのかもしれない。
それよりは、タクシーの運転手に子供の数だけ飴をあげたり、
畑をいつも助けてくれるウェーブ一家に種や収穫をあげたりする方が、私にはいい。差し出したいところには存分に差しだそう。
今はそうするしかできない。

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