女子校あがりの新社会人、共学時代の恋バナでつながる人間関係に再会し、BAD
前回のエントリは、私にとって正直自己満足以外の何物でもない、手元の日記に残すような内容だったのですが、そんな超私的駄文にスキを押してくださる尊き方がいらっしゃったので、また超私的なことを書きます。
今回の内容は、まだ親友にもまして親にも言ったことのない、いわば私のトップシークレットとも言うべきことです。
「トップシークレットは全世界に公開すなよ」という声は、聞こえなかったものとします。
女子大で過ごした恋愛無縁生活
突然ですが少し自己紹介させてください。
私は4年間女子大学に通っていました。
高校までは共学に通っていたのですが、いわゆる「非モテ」なまま変われない自分を見限り、もういっそのこと、恋愛したくてもできないという理由になる女子大に入ってやれ!どうせ共学の大学に行っても彼氏なんてできないんだから、女子大にいても損なことなんかひとつもない!という気持ちで、女子大に受験申し込みをしたのです。
その選択は、大正解でした。
何が大正解だったのか。それは、恋愛の諸々から無縁でいられたことです。
私は人を好きになりやすい人間です。特に素直な人や、損得なく人と関われるような人に惹かれます。
でも、自分に対する自信の無さから、そんな淡い思いを抑圧し続けてこじらせてしまったのか、いつからか、他人の恋愛事情を聞いたり見たりすることが苦手になってしまいました。
苦手だと自覚した当初は、好きな人や恋人がいる友人たちを僻んでいるだけだと思っていました。だから、友達の恋バナに参加して、積極的に“フツー”の女の子たちから恋愛に関する情報収集をしていたし、自分に話が振られたら「いいなー!私も彼氏ほしーーーー!!!!」なんて言って、場を盛り上げようとしました。
そんなことを続けていると、自分の心が「嫌なものは嫌だ」と言うようになってしまいました。それが、高校生の後半ぐらいだったでしょうか。
そんな思いで、入学した女子大。
バイトを始めても周りの学生たちの恋愛事情にはみじんも関心を向けず、本当に快適に過ごせていました。みじんも関心を向けない私に対し、バイト仲間が腫れ物に触るように扱ってきても、何も気になりませんでした。バイトにいる子たちは、正直、バイトをやめればもう関わることのない人たちだし、そんな人たちにどう思われようが知ったこっちゃない、と。
就職して直面した“フツー”の若者たち
大学を卒業し、私はある企業に就職しました。
蓋を開けてみると、同期は8割方「クラスの人気者」タイプでした。
クラスの人気者がそこそこ勉強して入った大学で、そこそこ努力して就活をし、複数受かったうちで選んだ企業。そんな感じの企業に入社して1週間が経ちました。
同期の飲み会に深夜まで参加し、そこで、ショッキングな出来事に遭遇します。
みんないい感じに酔っぱらって、プライベートなことも聞けそうな雰囲気になり、誰かがおもむろに恋バナを始めました。皆それぞれ自分の恋人について話します。なぜ話が続くのか。それは彼らはイケてる学生として、“フツー”の恋愛をしてきたから。
ぼーっと話を聞いているうちに、私が話す番がやってきました。正直、私は心底驚きました。なぜなら仲のいい友人たちや、今までバイトで出会ってきた人たちは、恋愛的なトピックに対する私の異常なまでの無関心さ、あるいは忌避感を察知して、そのうち恋バナを振ってくれなくなったから。
私は、出会ってまだ間もない人にとっては“フツー”の若者だと認識されていたと、ここで恋バナを振られて初めて気がついたのです。
私の同期たちは優しくてクレバーだから、私にも平等に話を振ってくれるのです。
「いやいやいや、私はホント何もないから……」
そう言った途端、居酒屋の一角がなんともいえない空気に包まれます。
やってしまった、と思い私は以降気配を消すことだけに集中しました。
“フツー”の若者たちに気を遣わせるぐらいなら、1次会で帰るべきだった、そう思いながら。
女子大というぬるま湯に浸かっていた期間が長すぎて、私はきっと、世の中の“フツー”もしくは“イケてる”若者像をイメージする力が養われていなかったのでしょう。こんな私でも“フツー”の男女と肩を並べて楽しく過ごせると思っていたのが間違いなのです。
そういえば共学時代、私は「話のわからない真面目ちゃん」だった
思えば、今までの共学生活で私はとにかく恋バナから省かれてきました。それは私の望みではあるのですが、おかげで、「話のわからない真面目ちゃん」レッテルを貼られて過ごすことになります。
そんなレッテルに対し、持ち前の責任感の強さから、私は共学にいた頃はリーダーの役割を買って出て、あえて恋バナから省かれるような理由づけをしていました。自分の在り方を正当化したわけです。
そんな思い出が、今、蘇っています。
同期の男女が一緒に過ごす中で、私はまた「話のわからない真面目ちゃん」レッテルと向き合うことになります。
「話のわからない真面目ちゃん」は、居心地のいいものですが、終始仲間外れにされている気分になります。リーダーとしての役割があればそれも忘れられますが、そうでない場合は、ただ、同期の中で情報が回ってこない「はぐれもの」です。
結局言いたいことは
「はぐれもの」として社会人人生を始めつつあることに、今、とても不安を感じています。ビジネスにおいては先生ウケのいい真面目ちゃんは通用しません。あらゆる人と良好な関係を築ける「クラスの人気者」が信頼を得る世界なのです。私は情報の回ってこない環境で、ひとりで仕事ができるほど優秀ではありません。
恋愛至上主義の社会の在り方を責めることは簡単です。ですが、私はただ、損得や恋とか愛とかを抜きにして、あらゆる人と関わり合いたいだけなのです。そんなあり方も許してくれませんか。
同期と過ごす学校のような環境に、23歳にもなって自分を適応させることでいっぱいいっぱいになっている自分が情けないです。かといって自分の在り方を変えるわけにはいきません。それはそもそも不可能だし、自分を曲げてまでいなければいけない場所なんてないと思うから。
またとめどなくオチのない文章を書きなぐってしまいましたが、どなたかに読んでもらえたらうれしいです。
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