ハロプロ楽曲考察vol.1モベキマス「もしも・・・」②

前回のつづき。

よく言われることだけど、つんく♂楽曲(というか、ハロプロ楽曲)の特徴として、「でっかい宇宙」とか「地球の歴史」みたいな超マクロな視点と、「愛しいあの人」の「おひるご飯」を気にしちゃうような超ミクロな視点の絶妙な掛け合わせがある。そしてそこに一種のカタルシスが発生するのだけど、この「もしも・・・」も実はそういう系列の曲なのではないか、と思う。

シャワーをして 少しテレビをつけてみた
なんだかつまらないな そろそろ寝なきゃかな
いつものように 彼からのメールが来たわ
かわいい事書いて くれたから許す

音楽番組やライブなんかだと、よく省略されがちな二番だが、この「もしも・・・」に関しては、二番にこそ物語が詰まってる!と思う。
それは一番で提示された歌詞の世界観を踏まえて、二番では歌詞の行間を読ませる(というよりは埋めさせる)ようなワードチョイスになってるからではないだろうか。たとえばこんな感じ。

1日を終え、ふと「彼」のことを思い出す。
ここで彼から「今何してる?」なんて連絡が来れば都合がいいんだけど…そんなことはなかなか起こらない。
気もそぞろで、特に何か見たい番組があるわけではないけど、何となく「テレビをつけてみる」。それでも「なんだかつまらな」くて、もう寝ちゃおうかなってなってる。
そんな時に彼からのメールが届く。しかもそこには「かわいいこと」が書いてあって、さっきまで腹の収まりの悪かったことも諦めがついちゃう。

ここで単に連絡がきた、のではなく「かわいい事」が書いてあったというのが重要に思われる。「かわいい」という感覚は、ただ美しさや強さに対してのときめきではなく、小さいものや弱いものを愛でる感性だ。
「帰りたくない」とごねる主人公に対して「クール」に去って行ってしまう「彼」に対する「かわいい」。そこには、二人で過ごした年月からくる親しみとともに、同時に付き合いはじめたあの頃とは違う「彼」に見えてしまうことの哀切も込められているのではないか。

それを想像させるのが、Bメロの歌詞だ。

午後からは バイトがある日なんだ
お迎え 来てくれた あの日はうれしかった

ここで示される「あの日」からの落差は強烈だ。「あの日」、バイトのお迎えに来てくれた彼は、今日はおそらく来てくれない。そして、そうした状況に対して、主人公は「今日は迎えに来てくれる?」とは言えないし、「バイトがある日なんだ」というのも、あくまでも主人公の心内語であり、それが「彼」に伝わることもない。(切ない…切なすぎる…)

そして、二番サビ。

もしも この星が一日で
最後迎えるとしても
面白い 話して
忘れさせて欲しい 「出来るでしょ」

いま主人公の置かれているであろう、「もしも」の話であって欲しいような現実と比べて、「もしも」の話にしても、あまりにも現実離れした「この星が1日で終わるとしても」という仮定に続く、

「面白い話して忘れさせてほしい」。

これは終りが見えてきた「彼」に対しての、切実な願いの婉曲表現でもあるのだろうか。
しかし、それ以上に重要なのは、これに続く「出来るでしょ」だ。
ここには、「この星」が終わるというショッキングな出来事をも「面白い話」で忘れさせる力が「彼」あることを信じる主人公の強さが光っているように感じる。

「もしも・・・」は、各グループの可愛い声選抜(?)がオリジナルメンバーであることからも、ハロプロの中でも屈指の「かわいい」楽曲ではある。
しかし、この二番サビには、「彼」に縋る健気で「かわいい」主人公の、単に「かわいい」だけでは終わらせない強さがある。
それは一言で言えば「信じる力」ということになるなのだろうけど、「彼」の力を信じている(ことを言明できる)からこそ、「彼」がいなくなってもこの主人公はその悲しみを自らの力で乗り越えていけそうな予感がする。


そんなわけで、収集がつかなくなってしまった「もしも・・・」考察でした。

「note」趣味なんて絶対ないと思っていたけど、全くの匿名の場で好きなことについて考えたことを勝手に書いて、時々「♡」を貰ったりするのは、なんかおもしろいことに気付きました。
またうずくものがあったときに第二弾を書こうかな。


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