ハロプロ楽曲考察vol.1モベキマス「もしも・・・」①

・・・
もしもこの星が一日で 最後迎えるとしても
面白い話して 忘れさせて欲しい
「出来るでしょ」

・・・

2011年、ハロー!プロジェクト所属の全メンバーによって結成されたユニット「モベキマス」によるシングル『ブスにならない哲学』に収録された「もしも・・・」は、各グループの中から選抜された嗣永桃子、中島早貴、真野恵里菜、和田彩花、譜久村聖によるカップリング楽曲である。

もう10年以上前に発表された楽曲であるにも拘らず、つい最近行われたjuice=juice(以下、JJ)稲葉愛香卒業公演や、数年前のモーニング娘。工藤遥卒業公演で最後のソロ歌唱楽曲として歌われたほか、多くのメンバーがバースデーイベントでこの楽曲を選んでいることから、ハロメンからもファンからも人気な楽曲であることが窺える。
(※私がこの曲に最初にはまったのも、つばきファクトリー新沼希空ちゃんがバーイベで歌っているのを見てからで、さらにそこから新沼希空ちゃんが好きになってしまったのである・・・)

「もう少し、帰りたくない」
「ドライブしよー」
「うーん じゃあ コンビニよる?」

という、あまりにも可愛すぎるセリフから始まるこの曲は、全編を通して「わたし」から「彼」へのかわいいお願いを歌う、ザ・かわいい楽曲である。
それをももちやまなかん、きそような超かわいいキャラのアイドルが歌うのは、超超かわいいし、一方で、くどぅーやあゆみんみたいな声がハスキーだったり、普段はあんまり可愛いコぶらないアイドルが、少し照れながら歌うのもファン心くすぐるのだが、この曲の最大の魅力は、こんなにかわいい楽曲であるにも拘らず、少し物悲しい、というところにあるのではないかと思う。

最初のセリフ

「もう少し 帰りたくない」
「ドライブしよー」
「んー じゃあ コンビによる?」
「うーん」

https://www.uta-net.com/song/121999/

この後、「帰らないと少し拗ねてみたけど」と歌唱が始まり、冒頭のこのお願いは、結局「彼」に聞き入れられないことが明らかになる。
「私」は帰って行く彼を見送りながら、「彼」のこの態度を「性格ね」と自分に言い聞かせる訳だが、ここで示される「私」の理想と現実の「彼」との間のギャップは、楽曲の最後まで埋まることはない。

しかし、そんな「彼」に対して「私」は直接不満をぶつけるのでもなく、その態度に落胆するのでもなく、それを「許しちゃう」未来を想像する。

もしも 私が熱出したり 
転んでケガしたならば
ダッシュで駆けつけて 
来てさえくれたら
「全部許しちゃうんだな」

https://www.uta-net.com/song/121999/

ここでの「来てさえくれたら」が秀逸だと思う。
「来てさえくれれば」ではなく「来てさえくれたら」。
なぜこの語がこんなに心惹くのだろうか。

「と」と「ば」は、一般的なこと、恒常的なこと、いつも成立するようなことを述べるのに、適しており(・・・)「たら」と「なら」は、個別的なこと、具体的なことを述べるにのに、適していると言えます。

(「と・ば・たら・なら」(2) | 日本語教師の広場 (tomojuku.com))

どちらも仮定であり、日本語話者である私は意識的に使い分けしていなかったけれど、上記サイトによると、「ば」は一般的・恒常的、「たら」は個別的なことに用いることが多いようだ。
このことをこの楽曲に当てはめて考えたらどうだろう。

「私」が熱を出したり転んだりした時に「彼」が駆けつけてくるのは、ふたりの間で成立しているいつもの約束事ではない。「くれたら」と歌うこの楽曲において「彼」が駆けつけてくるのは、個別的な、つまり、「彼」に届かない「私」の中での思いでしかないのだろう。またさらに感覚的な表現を選べば、「私」は駆けつけて【くれれば】許すのに、と「彼」に許す条件を示すのではなく、【くれたら】と、ひたすら個別的な願望に徹している。

話は「もしも・・・」から逸れてしまうが、個人的にハロプロ楽曲の好きなところは、楽曲の主人公が、心のうちではあれこれ考えているのに、相手に思いを伝えることに対して禁欲的なところだ。(俗に言う「メンドクサイ」というやつなのだろうけど)またそれだからこそ、時々洩れてしまう言葉や仕草の描写がたまらなく愛おしいのだ。(つばきファクトリー「抱きしめられてみたい」の「ねえあの子誰なの」など)

さらにこの相手に届かない個別的願望はサビ後半にも続く。

もしも怖い夢を見ちゃって
世中に電話しちゃっても
怒らず 優しく話 聞いてね
それからチューして
かわゆく私にチューして
「かわゆくがいいなあ」

https://www.uta-net.com/song/121999/

夜中に電話しても怒らないで話を聞いて欲しい、恋愛ソングにありがちな表現なのかもしれないが、「それからチューして」である。
電話口での「チュー」、非現実的なものではないのかもしれないけれど、「チュー」という物理的な接触を電話口で願う(しかも「クール」な「彼」に)ことは、却って私の願望と現実との距離感を感じさせはしないだろうか。

このように、かわいいお願い楽曲である「もしも・・・」は、かわいい「お願い」楽曲ゆえに、主人公「私」の願望が成就に向かう素振りを見せない、超内向的な物語を喚起するのである。

てなわけで、「もしも・・・」一番完。
ただしこの曲の個人的山場は冒頭にも記した二番サビなので、この項続く。


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