逃い訳

才能の有る無しを語るためにはまず挫折するほど努力するという経験が必要になるなどと考えた。何事かを見える形として成し遂げたかどうかではない、成し遂げようとしたかどうか。成功しなければ結果にならないとはいうが、失敗という結果が努力の過程を無駄にするかって話になると本人でもそうとはなかなか断言しえないのであって!思えば何事にも一生懸命になっていない状態というのは逆に成立し難いのでは?現実から目を背け「逃げ」ているときも「逃げる」ことに生涯を通じて生命を、賭してはないか。あへへっそれは大体そうだ。ともかくこれは屁理屈だかなんだかで言っているつもりは決してなく、無駄という単語を甚だ説教臭く聞くから良くない。あの時ああすればよかったなぁ等という後悔は反省材料には成り得ないか?「成り得ない」と答えることに一抹の疑問も覚えないお前自身に疑問を覚えるべきだと結論づけるのに時間のかかりようもない。何事かを為すということは必ず次のフェーズへの糧となるものなればこそ黒歴史を最大最高の経験値として蓄積せしめたいものである。恰好悪くて謝らなければならない法もなければ時代も舞台も異なる異星人に物事の秩序や美徳を説いても始まらないのだ、なぜなら言葉が通じないから。とかいうそんな夢オチばりの強硬手段改め原子崩壊選手権主席卒業生は深淵には覗かれ飽きている。飽きることも善いことであるが決して好いことではないという点に留意、言葉というのは使用法を誤れば終末幼稚園に終焉児童を迎えにいくことも可能だという夢を努々お忘れなければ。この声の響きは針金のように淑やかで靭やかさを帯び日々が罅割れ我々の声を。

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