ありえん毒母のお話
今回は、実の父の2回目の再婚相手のお話をします。
当時私は、小学2年生でした。
父が再婚し、お母さん的な人ができました。
一緒に住むようになり、段々と本来の姿が現れたというのでしょうか……
私が学校から怪我をして帰ってくると、玄関先で「おめでとう!よかったじゃん!」そんな言葉をかけられたり、テストで良い点を取ったり、賞を取ってきても「そんなの当たり前だから」そんなような人でした。
10個下にその当時の母親が産んだ弟もいたのですが、私と弟の差別は物凄かったですね。
だからと言って私は、弟のことを嫌いではありませんでした。むしろ大好きでした。
小学生ながら私は、産んだお腹が違うから、可愛くないんだろうな〜と理解してました。
数々の理不尽や、こどもにする対応とは思えないことをされ、褒められて伸びるべき時期に貶されて生きてきました(笑)
今思えば、本当にありえないですね。
母親とかいう前に、人として終わってます。
まあかれこれ、中学3年まで一緒に住んでいたわけです。
後半はよく喧嘩をしました。
そして中3の冬に、また喧嘩をしました。
喧嘩の内容までは覚えていませんが、私はその時絶対に謝らないと心に誓いました(笑)
コイツ…明らかにおかしい!!!と思っていたからですね。
喧嘩は3ヶ月に及びました。
なんとその3ヶ月間、一言も話していないんです。
私は中学の頃、バス通だったのですが、1度だけそのバスにのり遅れたことがありました。
家に帰ると、たまたま玄関から出勤前の母親と弟が出てきました。
私に気づいておきながら、フル無視です(笑)
私も知らない顔して家に入り、父に電話しました。
その喧嘩の期間に、私の誕生日もありましたが、その時もなんもなかったですね。
そして高校受験の、前期の合格日のことでした。
合格を知り、家に帰宅しました。
家には当時の母親も弟もいません。
必要な家具も全部持っていってましたね。
最低なのはここからです。
家具など必要なものは持っていったくせに
思い出のものは置いていったんです。
父と撮った写真や、父が弟に作った椅子など
父が見たら悲しむだろうものは、置いていったんです。
私はそれを1人で見つけて悔しくて泣きました。
ああ、なんでこんな奴のせいで、家庭がめちゃくちゃにならないといけないんだろう。
私は黙ってその写真をビリビリに破いて捨てました。
多分父が私に隠れて悲しむから。
この話は今から7年前の話です。
今は笑い話になるくらいになりました。
あんなに辛くて、死にたいことがあっても
今は幸せなんですよ。
当時は両親がちゃんといて、幸せそうな人たちを見ると羨ましくて仕方なかったですよ。
でも今は違います。
いろんな人の言葉に救われて
生きてきてよかったと思ってます。
片親なんて、恥でもなんでもないです。
自分の人生は今からだし、自分で切り開くしかないってわかりました。
おそらくシンママさん、シンパパさん
お子さんを育てられてる方は不安に思うと思います。
でも大人になったらわかります。
大事に育ててくれた人が、1人でもいれば。
わかってくれる人が、1人でもいれば。それで良いんです。
辛い思いをした分、どうしたら優しくなれるか、知ることができました。
みなさん、幸せにいきましょう。
自分で行動して、生きるしかないんです。
好きなことを見つけて、好きなことをして
自分だけの幸せを実感する。それだけです。
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