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死にたいくらい憧れていた

中学3年生の時、SCHOOL OF LOCKを再生したらめちゃくちゃ格好良い曲が流れていた。
The SALOVERSというバンドらしい。
よくよく聞いていたら、どうやら解散するらしい。とーやま校長がめちゃくちゃ泣いている。なんだこのバンドは。それが出会いだった。

そこから過去の音源や、当時上がっていたネットラジオを漁り、活動中に出会えなかったことをめちゃくちゃ悔やみながら追いかけた。
The SALOVERSは私の青春だった。

古舘佑太郎のソロ曲なども追いかけながらも、私はThe SALOVERSがずっと好きだった。ずっと少年の頃の古舘佑太郎に縋っていた。

高校生の頃、古舘佑太郎が新しくバンドを組むことを知った。名前は2。
この人に会えるチャンスが出来た!

初めてライブに行ったタイミングがいつだったか、正確には覚えていないけれど、その時なんだか少しモヤモヤした気持ちになったのは覚えている。
当時の私は毎日を生きることに後ろ向きで、何かしらに縋っていないと立っていられない感覚があった。
でも2の格好良さは完成されていて、私が追いかけていた少年はすっかり大人になっていた。私ばかりが立ち上がれていないような気持ちになってちょっと悲しかったのかもしれない。

少し時間が経ってから「性と詩」がリリースされて曲を聞いて、あ~やっぱり好きだわ!と思ってまたライブに通うようになった。
いつかの物販で古舘さんとP助さんにサインをもらった時、何の気の迷いなのか「私、大学全然行けてなくて」みたいな話をしてしまった(やばすぎ)。そしたら古舘さんに『俺、トマト嫌いなんだけど、でもトマトって食べた方がいいじゃん。多分そういう事なんだよね』と言われて、正直「なんだこの人は」と思ったんだけど(失礼)、今なら分かる。私、ようやく大学卒業できます。多分そういうことだった。

THE 2はいつも『何度でも立ち上がるんだ』とうたってくれていた。私が17~19歳くらいの時って、周りも見えないくらい這いつくばってたからきっと分かんなかったんだと思う。
年月を増す毎に、2のうたがどんどん好きになっていった。弱くて汚くて、多分言わない方がいいことも、大きな声でうたってくれる2のうたが、私は本当にだいすき。

あと、ライブに行く度思うんだけど、P助さんのギターってまじでデカすぎる。音量の話じゃなくて、存在というか規模がでかい。技術も説得力なんだけど、全ての音の存在がデカい。
THE 2を宇宙たらしめているのは、P助さんのギターだなとよく思う。

唯一の心残りはTHE 2に改名してからあまりライブに行けなかったこと。だって、全然名古屋来ないんだもん!東京までライブやフェスに行ったのは、このバンドくらい。

私は好きなバンドがたくさんあるけど、バンドが生まれた時から終わる時まで、ずっと応援し続けることができたバンドは人生で初めてだ。
中高生の頃に聞いていた音楽が私の青春なら、THE 2は間違いなく私の第2の青春だと思う。
這いつくばって、自ずから泥水啜って、弱い自分に反吐を吐きながら、私はここまで来れたと思える今があって本当に嬉しい。

初めて古舘さんと物販で喋ったときに「ずっと憧れていました」って言いたかったんだけど、目の前にしたら言えなかった。嘘くさいし、なんか違うなって思った。SONG FOR YOUの『死にたいくらい憧れているなんてのも嘘くさいでしょ』って歌詞そのまんまだ。
でも、きっと死にたいくらい憧れていたし今でもその気持ちは全然消えていない。

古舘さんが2を始めたのは24歳の時で、気づいたら私は24歳になっていた。この事実に気づいた時にちょっとショックを受けてしまったのだが、『皆よりきっと素敵な社会不適合者』だとうたってくれたので、これからも自分に嘘をつかずに生きていくしかないのだと思う!

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