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キティちゃんはオーディションで誕生?DOMMUNE「Kawaii77年史」前半:戦後少女文化〜サンリオヒストリー

本日は、2022年1月22日にライヴストリーミングスタジオ『DOMMUNE』で開催された"増田セバスチャンと宇川直宏が語る「Kawaii77年史」〜 77 YEARS HISTORY OF Kawaii CULTURE”のレポートをお届けます。


なんと5時間にわたった本イベント。前半は高桑秀樹さん(株式会社サンリオ、いちご新聞 元編集長)を、後半はマルチクリエイター・紅林大空さんをゲストに迎えて、DOMMUNEの宇川直宏さんと増田セバスチャンという2人のアーティストが戦後77年にわたるKawaiiの歴史をとことん語りました。

昨年「Yes, Kawaii Is Art」という展覧会を開催し、今年からアメリカに拠点を移す増田セバスチャンにとって、総決算のようなイベントです。

チャプター1「戦後少女文化とKawaii」

待機画面でドキドキ待ちます

ついにはじまりました!

本日進行するメンバーはDOMMUNEの宇川さん、増田セバスチャンとそのマネージャーの北村。

増田セバスチャンの代表作を振り返りながら、まずは自己紹介

宇川「6%DOKIDOKIをつくり、Kawaiiの金字塔となったきゃりーぱみゅぱみゅの『PON PON PON』のミュージックビデオを作った増田セバスチャンこそ、Kawaiiのゴッドファーザー。今日はそのセバスチャンとこのKawaii年表をもとに77年史を振り返りたいと思います」

2人が出会うきっかけとなったイベントのチラシを持参するセバスチャン。当時24歳のセバスチャン率いる「mama」と飴屋法水氏率いる「テクノクラート」で行ったパフォーマンス映像も紹介
増田セバスチャンはKawaiiのゴッドファーザーだ!と宇川さん

今回のDOMMUNEのきっかけとなったのは、昨年増田セバスチャンが大阪と神田明神で開催した個展「Yes, Kawaii is Art」。ここで展示されていた「Kawaii相関図年表」をベースにトークが進みます。

モニタに映し出される戦後1945年-2020年Kawaii相関図年表
増田セバスチャンが国内外の講演で話す「現代のKawaiiは戦後少女文化から始まった」というストーリーをベースに、京都芸術大学と共にリサーチと考察を重ねた力作

この年表を中心に、6つのチャプターにわけてお話を進めていきます。ちなみに、テーブルの上に置かれた資料は全てセバスチャン私物です。


戦後の少女文化を話すにあたって、早速、前半のゲストであるサンリオ・元いちご新聞編集長・高桑秀樹さんが登場です。

中央・サンリオの高桑秀樹さん
高桑さんが構成を担当した「サンリオ展 ニッポンのカワイイ文化60年史」にて、増田セバスチャンがメインのモニュメントを手掛けたことがご縁で出演


チャプター1では、第二次世界大戦終戦後、中原淳一さんがつくりあげたひまわり社の「それいゆ」から振り返ります。

中原淳一さんによる戦後翌年に創刊された女性誌「それいゆ」(1946年 創刊)
小説、エッセイ、漫画、童話、洋服やぬいぐるみの型紙など、多種多様な記事が掲載
「ひまわり」「ジュニアそれいゆ」など次々と女性誌も創刊。パリに留学し、西洋の美意識や文化を日本に広め、ファッション、イラストレーション、ヘアメイク、ドール、インテリアなど幅広い分野で時代をリード

中原さんは様々な方法で戦後の日本の女性たちへ、美しさ、強さ、生き方について多くのメッセージを送り、Kawaiiの礎を築きました。

そして、中原さんに影響を受けた多くのクリエイターの中から、内藤ルネさんに注目し、Kawaiiの黎明期を考察していきます。

ルネさんの絵が表紙の「ジュニアそれいゆ」
中原さんに手紙を送ったことがきっかけに上京し、キャリアをスタートさせたルネさん
2012年にパルコミュージアムで開催され、書籍も発売された増田セバスチャン監修「もうひとつの内藤ルネ」展でフィーチャーされた少し影がある作品もルネ作品の魅力の1つ
代表作でもある通称「ルネパンダ」は日本で初めてのパンダのキャラクター

そしてルネさんの話を語るときに欠かせないのが、サンリオの前身でもある「山梨シルクセンター」との関わり。山梨シルクセンターにとっても、その後の日本のファンシーグッズの歴史にとっても、内藤ルネさんは大きな存在でした。

チャプター2「サンリオ60年史」

そして、この話の流れで話題は「サンリオ」の歴史へ。Kawaii年表ではサンリオ創始者であり現・サンリオ会長の辻信太郎さんに注目し、相関図を描いています。

元々は小売だけではなく、出版・映画・レストランなどさまざまな事業を行っていたサンリオがなぜキャラクターの会社になったのか?を高桑さんとともに紐解いていきます。

ルネさんや水森亜土さんの本もサンリオの前身・山梨シルクセンターが出版。この2冊の本はミニブックシリーズと呼ばれるもの。当時出版事業は花形の部署だったそう。
当時大流行したサンリオのイチゴグッズは、内藤ルネさんの影響も大きくありました
(こちらはルネさんが描いていたイチゴのイラストのマグカップ)
サンリオ最初期のキャラクター・COROCHAN(ころちゃん・左上)

サンリオの歴史を語る上で欠かせないのが「映画」です。

そのなかで『キタキツネ物語』と並んで名作として語り継がれるのが『くるみ割り人形』です。2014年に増田セバスチャン監督でリメイクもされています。

イベントでは、改めて1979年に製作・公開された『くるみ割り人形』の予告編を見て、そのコマ撮り人形アニメーションのクオリティの高さに感嘆。本作の最初の脚本を手掛けたとは寺山修司氏という話題から、辻社長とのエピソードも語られました。

そして、高桑さんが編集長をつとめた「いちご新聞」の話題に。

辻社長がいちご新聞でメッセージを出されるのは、中原淳一さんの影響もあるのでは、と高桑さん。中原淳一さんからは、展示会のアイデアなどさまざまな刺激を受けているというお話もありました。

名物となった「いちごの王様」(辻社長)からのメッセージ連載は45年続けられているそう


そして、「ハローキティ」の誕生秘話も繰り出されました。

当時、新たなキャラクターたちは、プチパースという小さながま口や、100円ノートといった人気商品となり店頭に並びます。そして、売れ行きのよかった子たちが見事デビューを勝ち取るというオーディション方式だったとのこと…!

ハローキティは、プチパースというオーディションを勝ち上がってのデビューでした。

今ではレアな旧サンリオロゴの紙タグがついたハローキティのぬいぐるみ

この後も、キキララやマイメロのデビュー秘話や、2014年に起こった「キティは猫なのか」論争の話が続くなかで、宇川さんが流した衝撃の映像作品が『キティとミミィのあたらしいかさ』です。「口」の表現にご注目。

かなりエクストリームでしょ、と宇川さん

さらに、その流れを汲んだ活動は今も…ということで、現在はYoutuber(3D VTuber)になっているキティちゃんの映像も紹介されました。

他にも、アムラー、シノラー、と並んで、キティラーが大流行した90年代。まさに現代の「Kawaii」につながる流れとしての2000年代の海外セレブ層でのキティ人気のなど、話は尽きませんが… 

セレブのキティ好き発言を加速させたレディガガのキティドレスが大きな話題に。
現在巡回中のサンリオ展では再現されたドレスが展示中です。

また、当時一部で物議を醸したアヴリル・ラヴィーンの「Hello Kitty」MV。今見返すと2010年代のKawaiiのパブリックイメージそのものようで味わい深い、という意見も。

レポートには全く書けない(!!)話題も多く、90年代のカルチャーに突入する前に、既に2時間が経過。名残惜しいですが、サンリオ特集はまた別の機会にたっぷり話しましょう!と高桑さんにお礼を告げてました。

そしてついに、お話は宇川さんと増田セバスチャンの専門分野でもある「90年代」に突入します。


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