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まちー福田花


 山奥までの通勤から一転、私は街中への出勤が始まった。いわゆるポップアップというやつで、私の勤める店は街中に期間限定出店を始めた。

 電車で行くこともあれば、バスで行くこともある。
それらに間に合わないと、10月に買ったばかりのピカピカの黄色の車で出勤する。

 着ていたお洋服も山に合うアースカラーの季節に負けないようなものから、ちょっとおしゃれをするようになった。
 でも、本気のおしゃれは休みの日に取っておきたいから、仕事の日は少し不満が残るような格好をした。

 8時間の勤務の間に1時間の休憩をする。朝からの時はお昼休憩で潰れてしまうけど、昼から夜までの時は、カフェか喫茶店に行く。


 今日は、駅にほど近いチェーンのタバコが吸える喫茶店に来た。
 「今年の1冊目!」として買った『あたしたちよくやってる』山内マリコを持って。

 この店は駅前ということもあり、いつもやや忙しなく、店員さんも作業のように接客をする。

 喫茶店には静けさと平穏を求めているので、この店に入るのは滅多なことがないとない。
 今日はいつも行く喫茶店が定休日だったので久しぶりにと入ってみた。

 耳に入る人の会話は、おじいちゃんやおばあちゃんの穏やかな世間話ではなく、いかに自分がどういう人なのかと言ったややとがったものばかり。
 店内に流れる耳馴染みのいいジャズもかき消されて、照明は煌々としていないはずなのに変に明るい店内。
 なんとなくフィットしない感じがした。

 持ってきた本に集中しようとするけれどつい、人の話が耳に入って一瞬注意が離される。

 面白くってはにかむけれど周りが気になってしまい口を閉じる。

 そしてイヤホンを上着のポケットから取り出して携帯に繋ぎ、アップルミュージックのプレイリストを開く。
 
 山内マリコを教えてくれた友達が共有してくれたプレイリストを流す。音量をあげて私の景色をグッと狭める。

 完璧だった。

 鳥肌がたった。わたしが存在している半径1メートル足らずの空間で、心と体が本の中に没入した。
 するすると言葉が入ってきて、耳までもよし!と言わんばかり。

 本の中に入っていたわたしは、コーヒーをひとくち飲んで世界に戻り、タバコをひと吸いして心のワクワクを確認した。

 この2ヶ月くらいはとっても忙しかった。まさに社会の歯車のように働いていた。家に帰ったらご飯を食べてお風呂に入って眠るだけ。

 街中で仕事をしても雑踏に身を委ねて、そこに私がいてもいなくても同じなように過ごしていた。

 でも今、わたしがいる。
 誰かがいて相対的に存在している私とは違う、ひとつの生き物としてわたしがいる。

 隣の席の内容のない話をする若者の横で、わたしの体だけがスポットライトを浴びたようにキラキラした。
 さっきと変わらない照明の下で、同じ座り方をして、同じ景色を前にしているはずなのに体がフワッと軽くなったのだ。


 知っている感覚だった。雑踏に紛れそうになった時にわたしの耳にしか届かない音楽を聞いてグッと体が戻ってくる感覚。

 地元に戻り、2年以上経とうとしている中でイヤホンをすることが減った。
 なにせ、自然の音がよく聞こえるし、それが心地よい。それに風景と合う曲がなかなか見つけられなかった。
 車を手にしてからはカーステで曲を聴くのでイヤホンを持たないこともしばしば。

 しかし、今日のわたし!
 午後の出勤なのに寝坊しかけたものの、イヤホンをポッケに入れた自分に大きな拍手を送りたい。
 よくやった!

 心の持ち場に戻れるということは時々起こる。それはいつでもふとした瞬間で、それがいかに今の自分に必要だったかと大きく頷くことができる。

 今日はそんな心の持ち場に体からすっと戻れた日だった。

 田舎のくせにちょっと都会ぶった場所と人たちの中で、わたしも同じように息をしてみてそれから軌道修正ができた感じ。

 もっともっと言葉にできそうだけれどこの辺にして、本に戻る。
 あたしよくやってるかも。

 


 

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