ファッションがどうかやさしい世界でありますように。
ワタシはファッションが好きだ。
幼い頃からオシャレをするのが好きで、手持ちの服でアレコレ組み合わせを考えたり、おもちゃのイヤリングやネックレスに心躍らせ、母のクローゼットを眺めるのが好きだった。
オシャレをすることだけじゃなく、布地のさまざまな質感や、ドレープがつくる流れるようなシルエット、ジャガード織りやツイード生地の重厚な織り目、心躍るような花柄や水玉柄を眺めるのが好きだった。
布や素材がつくる、ものの形としての優雅さ、その組み合わせによるスタイル、そしてそれら全体が調和することで生まれる、なんとも言えない甘美な空気に心震えるのだ。
でも、少しオシャレは苦手だった。
同級生はフリルやピンクやパステルカラーの色とりどりの服、メゾピアノやナルミヤインターナショナルといったジュニアブランドなど、見てるだけでうきうきするような洋服を着ていた。
しかしウチはだいたいユニクロ。機能重視で飾りっけのない洋服が中心だった。
だから、いつかファッションの道に進みたいという気持ちは、少女エレーヌの密やかな夢だった。
そんなワタシはも成長し、学生時代はファッション専門学校とダブルスクールに通ったり、スタイリストアシスタントやファッション誌編集のアルバイト、ファッション系のニュースサイトでインターンもした。
こうして振り返って見ると、その道に進みたくて、色々と試行錯誤してたんだなぁ。
しかし、結局ワタシは、その道に進むことは選ばなかった。
選ばなかった理由は色々ある。
高校まで普通科で大学も文系私大に進み、周りが就職し社会へ飛び立つ中、そこからあらたにファッションという世界へ飛び込む不安。早く経済的に自立してなければという焦り。やっぱり自分には無理かもしれないという諦め。
そして何より、ファッションという世界が怖かった。
あんなにも心躍らせ、憧れたファッション業界だったが、若い自分にとっては、キラキラして自信に満ち溢れた者しか許される世界に思えた。
オシャレで洗練され、自分をアピールし発信することを恐れない、他者と繋がることや自分をさらけ出すことをどんどんやっていける人達のための世界であるかのように見えたのだ。
カッコよくて綺麗で、誰の目からみてもイケていないと、その世界に足を踏み入れることはできない、仲間と認めてもらえないような空気を感じたのだ。
だからワタシは、自分に自信がなくて、否定されることが怖くて、ファッションの道に進まなかった。
今でこそ、社会人となりそれなりに世の中というものに慣れてきた今、少しは自分の格好や好きな物を他人に見せてもいいくらいの自信はでてきたが、昔のワタシにとっては、ファッションとは誰よりもオシャレでかっこよくなければならないものだったのである。
周りの誰よりも抜きん出ていないと、「独創的」でないと、「普通」なだけだと認めてもらえないのではないか。ファッションが好きだと公言してはいけないのではないか。
ずっとずっと、そんな思いにとらわれていた。
しかし、少し歳を重ねたからこそわかったことがある。
ファッションは自由で、どこまでもやさしい世界なのだ。
私は服もめったに買わないし、クローゼットには5年選手10年選手が控えている。
どれもシンプルで、特に目立ちはしないかもしれない。
だけど、イタリアの小さなお店で買ったコートや、はじめてトライした白のデニム、何度も繕いながら着てるカットソーなど、どれも手に入れたその時の気持ちや思い出が記憶に刻まれているものばかりだ。
おしゃれじゃないかもしれないけど、この服をみるといつも、これでいいのだ、という気持ちになる。
ただ、自分が心地よく、気分良く、自分らしく、その装いをすることで幸せな気持ちに包まれ、心強くなれること。勇気がでてくること。
それもまたファッションなんだろう。
ワタシは、ファッションが好きだ。
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