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認識分化論入門(09)

第九章 過大評価と過小評価

第一節 過大評価も過小評価も認識能力のなさ=認識の未分化

 なにごとも、正しく認識することは、難しいものです。

 しかし、きちんと受け取っていれば、経験を積んで、次第に正しく認識できるようになっていくものです。

 認識が充分に分化していれば、受け取ったものを評価したり、比較することによって、少しずつでも進歩し、成長していくものです。

 それに連れて、いろいろな修正が行われ、認識も少しずつ正確さを増していく、ということです。

 それに反して、認識が未分化な人は、いつまでたっても、正しく認識することができません。

 受け取ることができないのですから、そもそも認識することがない。

 そして、受け取らないことによって、進歩も成長もしないため、認識能力は進んでいきません。

 結果として、過大評価ばかりになったり、過小評価が多くなったりします。

 しかし、認識が未分化な人にとって、自分の考え方が唯一であり、当然正しいものですから、なんらかの理屈をつけて、自分が正しく認識していると思いこむのです。

 理屈のつけ方は、人それぞれですが、いずれにしても、自分の中でしか通用しないものです。

 もちろん、中には、大変な説得力を持っており、まわりの人にもその理屈を信じさせてしまう人もいます。

 こうなると、その人が、正しく認識できるようになることは、ほとんど期待できないでしょう。

 組織の中で、上に立つ人間がこの状態になると、組織全体が同じような状態になり、より強固に理屈がまかり通り、正しい認識からより遠ざかることになります。

 いずれにしても、認識が未分化な人は、正しく認識することができず、過大評価や、過小評価を繰り返すことになります。

第二節 相対する人を同じ人間として扱う

 認識が分化していない人にとっては、世の中は、自分と、自分以外です。

 往々にして、自分以外をまとめて、敵とみなす傾向があります。

 そして、適切に、相手に言葉や情報を渡すことができませんから、どうしてもきつい言い方になるものです。

 きつい言い方になることを、性格のせいだと、自分で自分を納得させている人がいますが、これは、きちんと伝える能力がないことの現れなのです。

 そして、どうしても、自分以外の人間には、無条件に敵意をいだき、自分をだまそうとしているのではないか、自分を利用しようとしているのではないかと、考えがちです。

 ただでさえ相手の言葉や、思いを、受け取ることができないのに、さらに、より一層、相手の言葉や気持ちを受け取ることができなくなります。

 そんなことを繰り返すうちに、無意味に敵を増やしたり、まわり中から敬遠されたりします。

 しかし、本人は、自分以外をひとまとめにしか認識しませんから、誰かから嫌われているとか、どの人から敬遠されているとかは感じません。

 そして、明確に自分に対して悪意を見せる者に対しては、完全に自分の敵とみなし、意識して、敵対するようになります。

 ますます孤立し、敵を増やしていくのです。

 これは、非常に好ましくない状態だと、言わざるをえません。

 まず、相手を、自分と同じ人間だと思うこと。

 そして、同じ人間として、自分と対等に接すること。

 そうしたことが、なににも増して、重要になってくるのです。

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