初心忘れるべからず。の巻

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コマンドN最高。コマンドN大好き。新規ファイルわくわくする。

今でこそ僕はそんな気持ちだけれど、いっとき、コマンドNに恐怖を抱いたことがあった。

大学生のときは、課題もやっていたけれどダントツに個人制作が楽しかった。特にシルクスクリーンに出会った大学2年のときから、シルク工房に入り浸っていた。家で1色刷りの版を作っては、翌日研究室のプリンタから出力し、版を作って派手な色でTシャツや段ボールに刷っていた。
新しく何かを作ることは、わくわくすることでしかなかった。そういう気持ちが失われることなんて、想像すらしていなかった。

就職した1年目、いろいろなアートディレクターの手伝いをする毎日になった。そこでやっていたCDジャケットの仕事は、だいたい過去の制作物のファイルを開いて組み換えていくことが多かった。ロゴを作るときもアーティスト名は決まっているし、テキストはすべて支給される、撮影をすれば写真があるし、イラストレーターに発注すれば素敵な絵がやってきた。いつの間にか、まっさらな新規ファイルから、自分ですべてを用意することはなくなっていた。

入社して半年くらい経ったときに、社内コンペで会社の年賀状を作ることになった。コマンドNをして新規ファイルを開いた際に、何も“素材”がないことに激しく恐ろしくなった。その恐怖感は、気付いたら自分が立っている足下に何もないような、真っ暗闇に宙ぶらりんになったような怖さだった。初めて、半年間自分で1から考えて作っていないことを自覚した。

それからは、とにかく家に帰ってから何かを自分でこさえて作るようにし始めた。この恐怖は、常態化して慣れてしまったらまずいと、直感的に思ったから。足下を照らす光は、自分で用意しないといけない。誰かに照らしてもらうことを待っていてはいけない。大した作業じゃないけれど、買ったCDやスニーカーを写真に撮って冊子にまとめていったり、組版を作って日記を書いたり、平面グラフィックを作ったり、とにかくなんでもいいから自主的に作業をすることを心がけた。気付いたのが早かったからか、すぐにただの好きな作業になったけれど。

へきちを始めたことで、タブさんの本が自主的な作業になった。タブさんは僕の足下を照らしてくれるから、今の僕の足下はピッカピカだ。でもあの恐怖感は今も傍にある。コマンドNをするたんびに、少し背筋が伸びるのだ。(松田でした)

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