分をわきまえる
もう何百万文字と、趣味の小説を書いてきた。
もちろん趣味だけど、「いつか本とかが出たらうれしいよなあ…」なんて、ボンヤリした夢がなかったと言えばウソになる。
でも十数年、ネット投稿をやり続けていれば、そんな「ボンヤリとした夢」など、待てど暮らせど実現しようもないことは完全に理解できた。
本を出したいなら、自分で出すしかないのである――
まずは、自己満足なオンデマンド出版(簡易的なモノ)を始めた。
その次の段階として、今、Kindle電子書籍を企画し、その表紙をクリエイターさんに依頼している。
何もかもが初めての試み。
1つのイラストを仕上げるのに、一体どれだけの時間がかかるかを考えれば、お見積り額は全く高くはない価格……とはいえ。
わたしのような素人の、おそらく全く売り上げ的なモノも望めない出版物の表紙にしては、もしかしたら結構、贅沢な費用かもしれないなあとも思ってしまう。
(みんな器用に自分で作って0円とかで済ませるのだろうし)。
そう。このお金の掛け方って、なんというか「日本人的」だなあと感じる。
そもそも「趣味」。「素人」の「道楽」。
道楽で先生につくにしても、それは自分の芸を磨きたいというよりは、ほとんどの人にとって、お月謝や発表会の献金は、先生という「芸術家」への支援であり、彼・彼女の「パトロン」になるのと同じ感覚だったりする。
そんな日本的感覚。
そして、自分の芸を発表するにしても。
そんな素人芸に、みなさまをつきあわせるんだから、せめて礼を尽くさねばとか。自分の「趣味」なんだから、お金をつぎ込んで「好き放題」贅沢にしつらえようとか。
まさに「若旦那の道楽」で、義太夫かなんかのお披露目に、豪華なお土産や折詰をつけて人をお呼びする――なんて感覚。
だって、お金を「払って」見に行くのは玄人の芸。
素人はその逆(まさに、自由でかつ、自分の財力がモノを言う……)。
そして、庶民も庶民なりに「道楽」してたんですよね?
横丁の師匠に小唄をちょっと習ってみたりとかね。うん、それもまた日本人だね。
なんでいきなり、こんなコトを思いついたかというと――
昔からの職場関係のお知り合いを思い出したから。
ピアノ・バイオリンはプロ級。近世日本文学の研究者。
でも、あまりにも保守的な親御さん(父・医者&専業主婦の毒親…)で、
「女に教育はいらない」と吐き捨てるお家。
だから受験を禁じられ、通ってたお嬢様学校の附属大にしか進学できず。
けれどそこで頭角を現し、旧帝大の教授直々にお誘いがあったのに大学院にも行けなかった。
就職も認めてもらえず、一度も正規職に就くことはなかった。
非常勤職で勤め、彼女より知見の劣る職員にマウントを取られても、じっとこらえてた。
たぶん絶対音感もちで、大学の聖歌隊ではスーパーメゾソプラノ。
研究が高じて、自分でも「とある伝統芸能」をなさる。
これがまた、プロよりたぶんうまいし鍛錬もたくさんされている。
この方の発表会に何度かお呼ばれした。
「素人」の発表に足をお運びいただきましたから…と。
いつもいつも、お弁当にお菓子、粗品まで詰め合わせたお土産を頂戴する。
こちらが持ってった花束とお菓子の倍くらいはお返しが!
ってか、ご本人は滅茶苦茶上手いんですよ!? プロ級よ。
ウソみたいなんだが、彼女は顔もいい!
日本人離れした系統の(エジプシャンな?)美女。
(食べるのが好きだから、時々少しふっくらするけど、骨格が勝利してるのか、スタイルは抜群なのです)
つやっつやの黒髪、まさに「カラスの濡れ羽色」ってこういうことね! と理解できた。
一切、話は盛ってません。
それどころか他にもスゴイ、書ききれないことが、まだまだ山とあるくらい。
彼女の夫氏というのが、その世界の玄人の方。
自身の研究「対象」として知り合い、恋愛関係に。そして彼の芸にも惚れ抜いている。夫氏の芸に、尊敬、畏怖がある。そして彼の一番の理解者。
でももちろん親御さん(名のあるお医者)は大反対。
「あんな河原乞食(芸をする人だから)となんて!」
様々な妨害、夫氏への嫌がらせが続いたけど、ふたりは別れず、でも結婚もできなかった。
(駆け落ち的なことをするには、彼女も育ちが良すぎたし、何より、親にすべての才能とキャリアを摘みとられたせいで、経済的にも自立が難しかった。)
けどさ。もう子供も産めないくらいの歳になってやっと、親が我に返ったのよね。
娘ももう若くはないんだって。
それでケッコンを認めたってワケ。
既に書いたように、彼女、西洋音楽の素養もめちゃくちゃあるわけで、夫氏が邦楽伝統芸能を生業になさっているのを、ひたすら陰で支えてるのです。
夫氏が作曲されるときの譜起しも全部彼女(なんなら作曲そのものにも相当かかわってる、邦楽器もできるし)。
編曲もする。
夫氏のスケジュール管理も、経理(多分、色々深い)も彼女。
でも彼女は、夫氏の世界では、自分が音楽や邦楽伝統芸能の素養があることは、一切明かしてない。
バカたちはみんな、彼女にマウントを取る。
昔は、彼女がそこまで自分を押し殺していることと、周りの態度に、私は勝手に腹を立てていた。
彼女も若い頃は、「自分を押し殺している」と感じることが多かったに違いない。
そもそも、マウントを取られ、ないがしろにされることを「心地いい」と感じる人はいないだろう。
けれど、彼女の研究対象のひとりであった著名な伝統芸能のかたとその奥様だけは、彼女の本当の姿を知っていた。
(「業界人の妻」としてではなく、「研究者」として彼らに接していた時期もあったから)
そして、その奥様が言うんだそうな。
「分をわきまえて、お過ごしなさいね」と。
最初、その意味が全然分からなくて。
本当に他人事ながら、腹が立ってしまった。
どういうコト? お前はもっともっと「すっこんでろ」ってこと? と。
彼女は、私より少し冷静に、その言葉を噛み締めているようだった。
それからずいぶん経つ。
折にふれ、私はあの時の「分をわきまえる」というのが、一体どういう意味だったのか考える。
今はもう、あの時ほどの怒りは覚えない。
ハッキリとはつかめないけど、「分」って何なのかを、時々考えている。
「わきまえる」は、我慢することでも押し殺すことでもないのだと思う。
「分」も「わきまえる」も。
たぶん、西洋的個人主義とは全く違う意味合いのなにかであって、もちろん彼女を「貶める」意図は一切ないはずのもの。
まだまだ、よく分からない。
でも、自分の是と思うことを精進することも、そこには含まれるのかな…と、そう考えたりもしている。
彼女が、そのことについて、今どう考えているか。
訊けるタイミングはなさそうだし、今後も、あらためて訊くこともないだろうと思うけど。
自分ではまた、時々思い返すんだろうなと感じている。
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