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人として理想を求めるか?作家として高みに立つか?

「人として、最も理想的」だったのは、実はこの時期かもしれません。

月曜日から金曜日まで、毎日満員電車に揺られ職場に向かう。基本的に労働時間は、朝の8時半から夕方の5時半まで。たまに残業あり。

土・日はボランティアに行ったり、友達と遊びに出かけたり。1~2ヶ月に1度程度、ボランティアのメンバーでバーベキューやサファリパークやブドウ狩りに行くこともありました。

「あの人」との関係も良好で、特に大きな問題が起きることもありませんでした。きっと、あの人が望んでいたのは、こういう人だったんです。

「一生懸命マジメに働いて、みんなから好かれ、何か困ったコトがあればサッとやって来て助けてくれる。そのような人を夫に迎え、安定した家庭を築き、子を産み、共に年を取り、いずれ朽ち果てていく…」

それが、あの人の理想の人生だったんです。

きっと、それは端から見ても立派な人生に見えたでしょう。親や親戚や友人に自慢できるような立派な人生。形の上ではね。でも、それって誰にでもできる生き方だと思いません?

「この生き方は、誰にでもできる。他の誰かでもできてしまう。『代わりがいる人生』だ。だったら、他の人にまかせればいいと思わない?」

青年は、そんな風に考えてしまったんです。それに、子供の頃、父親が残した言葉もありました。

「作家や芸人はヤクザな商売。まともな人間にはなれはしない」

そのセリフは、いつまでもいつまでもトゲのように心の底に刺さり続けていました。なぜなら「真実」だから…

そう!人として理想の人生は、作家としては最悪の道だったのです。作家や芸人や役者やバンドマンや芸術家は、まともじゃいけないんです!人としてまともになればなるほど、究極の作家からは遠のいていく。それどころか「フツーの作家」にすらなれやしない!

青年は、直感的にそれを知っていました。

「両方同時は成し得ない!どちらか選ばなければならない時が来る!」と。


青年が持つ特殊能力「マスター・オブ・ザ・ゲーム」も、同じコトを示唆していました。

「3つの願いは多過ぎる。どれか1つに絞らないと。せめて、2つ。願いの内、1つはあきらめなければならない」

3つの願いとは、「理想の女性」「伝説の悪魔」「究極の作家」の3つです。この内2つならば、かろうじて実現可能でしょう。できるならば、どれか1つに絞った方がいい。その方が能力がより効果を発揮しやすいから。

元々、「マスター・オブ・ザ・ゲーム」は、「目的のために、それ以外の全ての要因を切る能力」です。「必要な部分に最大限エネルギーを投じるため、不必要な部分を容赦なく切り捨てる」のが特性。

どう考えても3つは欲張り過ぎたったんです。

でも、この時の青年は全ての願いをかなえようとしてしまいました。自分が望んでいるコトも、あの人が望んでいるコトも、みんなが望んでいるコトも。全部!全部!全部!

noteの世界で輝いている才能ある人たちや一生懸命努力している人たちに再分配します。