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小さなブロックを積み重ねるがごとく

ヘイヨーさんが書き始めた小説は、「レゴ」のようにブロックを1つ1つ組み合わせていく方式を採用していました。

あるいは「マインクラフト(通称:マイクラ)」というゲームがありますが、それに近かったとも言えます。1つ1つの動作はシンプルなのですが、細かいテクニックが無数に存在しており、最終的に非常に複雑な建造物や世界を作り上げることが可能なゲームです。

同じようにヘイヨーさんの書く小説は、パッと見は非常に雑で、どこが凄いのか全くわからないのですが、無数のブロックを組み合わせることで、非常に多彩で複雑な物語を描き出すことができるのです。


小説において、「レゴ」や「マインクラフト」は、何を意味しているかと思いますか?

実は、「簡素な表現」なんです。たとえば、「髪の毛や目の色」「背の高さ」「体格」「どんな服を着ているか?」「何を食べているか?」「どこにいるのか」「天気は?」などなど。情景描写を極力削ります。

ここまで「ヘイヨーさんの人生」を読んできた読者の皆さんならばわかると思うのですが、情景描写が非常に少ないんですよ。あっても、必要最低限の情報のみ。

だからこそ、特定の描写が印象に残るとも言えるのです。たとえば、「デートみたいな格好」「鎖状の髪型」「雨の日の相合い傘」「オムライスに卵を巻く」「料理酒と養命酒を間違える(中身は梅酒)」といった感じで。

情景描写を極限まで削る代わりに、心理描写は徹底的にやりました。「まるで、心理学者が哲学者なのか!?」というレベルで。これにより個性を出したんです。

文章の執筆において、個性を出すというのは最も難しい行為とも言えます。パッと読んだだけで、「あ!この文章、あの人が書いたんだな!」とわかるような文体や表現を身につけるには、非常に長い時間を要します。一生かかって身につけられない人も多いくらい。

それは、小説だけでなく、詩でもエッセイでも伝記でも読書感想文でも、全部同じ。自然とにじみ出るようなオリジナリティというのは、なかなか身につくものではありません。

偶然とはいえ、それに成功したのです。


「小さなブロックを無数に組み合わせて、複雑怪奇な物語を生み出す」という手法。これは、苦肉の策でもありました。

なぜなら、これまでにヘイヨーさんが完成させたことのある長編小説は1作もなかったからです!

『苦悩教室』の時は、小説ではなく舞台用の脚本でしたし、それすら「みんなの力を借りながら、どうにかこうにか完成させた」といった代物でした。きっと、1人では無理だったでしょう。

『僕の改革 世界の改革』は、いいところまでいったのですが、全7幕の内、第6幕の途中まで書いたところで、未完で終わります(もっとも、最近になって最後まで完成させましたが…)

つまり、「30歳を超えた段階で、長編小説をまともに1つも完成させたことがなかった!」のです。

14歳の時に「究極の作家」を目指し始めて、15年以上が経過していたにもかかわらず!


これには、さすがのヘイヨーさんもショックを受けました。

「自分には長編を書く才能はないのかも知れない…」と、あきらめかけもしました。「素直にショートショートや超短編のような短いお話だけ書いて暮らせばいいのかも…」とも。

でも、あきらめなかったんです!

代わりに「超短い文章」を組み合わせて「短い塊」にし。「短い塊」を組み合わせて「中くらいのお話」にしました。さらに「中くらいのお話」をいくつも組み合わせて「長編小説」としたのです。


この方法は上手くいきました。

ヘトヘトに疲れ果てながらも、内容はボロボロながらも、「長編」というには少し短いながらも、どうにかこうにか「長編小説」の形に仕上げることに成功したのです。

noteの世界で輝いている才能ある人たちや一生懸命努力している人たちに再分配します。