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最後の会話

新幹線に乗って東京へと向かった青年。確か、その日は日曜日だったはず。

それは、離れていくあの人の心を引き止めようとする青年の最後の賭けでした。まるで、深さ数十メートル幅1メートルの崖を飛び越えるような。

列車の中から、あの人へメールを打ちます。

「大変なコトをしちゃったから、電話をちょうだい!」と。

「おそらく、すぐには返事は来ないだろうな」という勘が働きました。なので、東京に到着する1時間くらい前にメッセージを送りました。


東京駅に降り立ったのは、正午ちょっと前。

それから、その辺をブラブラと散歩しました。東京駅から有楽町の駅の方へと歩いて進んでいきます。

12年前に家を飛び出し、見知らぬトラックの荷台に乗って高速道路を移動し、大阪からは鈍行を乗り継いでこの地へとやって来た時と同じように。

「干支が、ひと回りしてしまったな…」と青年はつぶやきました。

12年間の思い出が、次から次へと浮かんでは消え、浮かんでは消えしていきます。とても長い時間にも思えましたが、充実度を考えれば、悪くはない人生だったでしょう。

突然、携帯電話の呼び出し音が鳴りました。電話の相手は決まっています。

「どうしたんですか!?」と、あの人の声。

青年は「東京に来ちゃった」と答えます。

「ええええええええええ!?」と、驚きの声を上げるあの人。それは、そうです。半日前に電話で話した時には、青年はここから1000㎞も離れた場所にいたのですから。

事情を説明すると、あの人は会ってくれることになりました。

「今は学校の部活で。夕方には終わります。夜には、お友達の結婚式の2次会に行くので、その間の短い時間なら」と。

いろいろと交渉しましたが、吹奏楽部の大会が迫っていて、他に会える日はないそうです。

仕方がないので、青年はそれでオッケーしました。


夕方の約束の時間まで、青年は東京での思い出の地を訪れて過ごしました。以前に住んでいたアパートの近くや、ボランティアで活動していた施設など。その多くは、5年ぶりくらいに訪れる場所でした。

あの人と一緒に子供たちの遊び相手をしていた最初の母子寮はいまだに存在していましたが、立派な建物へと建て替わっていました。2番目に活動していた別の母子寮は、施設自体がなくなっており、普通のマンションになってしまっていました。

よく通っていたゲームセンターの内、1軒は焼肉屋さんになっていました。もう1軒は当時のまま残っていたので、ひさしぶりにプレイしていきました。設置されているゲーム台まで、昔と全く同じでした。

よく通っていたお風呂屋さんの前にあった定食屋さんは、普通の民家に変わっていました。

「東京という都市も生きているのだな。変わっていく部分と、変わらない部分がありつつ」

そう、青年は思いました。


夕方になり、待ち合わせ場所である池袋の駅へと向かいます。しばらく待っていると、あの人の方から声をかけてきてくれました。

なんだか、数か月前に会った時とは雰囲気が全然違います。あの時は、若々しくて輝くような笑顔だったのに、今は疲れ果てて無理をして稼働しているという感じがしました。服装も、10年くらい年を取ったような格好です。

「これから結婚式の2次会に行くというのに、こんな格好でいいのかな?昔は、いつもデートに行くような格好だったのに」と青年は思いましたが、口には出しませんでした。

「2次会は横浜である」というので、池袋から渋谷に向かって電車で移動します。

電車の中で少し話をし、渋谷の駅を降りてからおしゃれな喫茶店に入って、また話をしました。

「これを渡しに来たんだよ」と言って、青年はいくつものプレゼントを渡しました。あの人にとっては、どれもガラクタみたいなモノだったかも知れませんけどね。

その内の1つは、中国で買ってきた「蝶々のブローチ」でした。まるでユメミアゲハのごとき。

「ほんとは、本物の宝石でもプレゼントできればいいのだけど…」と言って渡すと、それでもあの人は喜んでくれました。

「よく私の誕生日を覚えていましたね」とあの人に言われて、青年は答えます。

「それは、もう。ブルーノートを渡した時だって覚えてたでしょ?」

「ああ…」と、感嘆の声を上げる彼女。

「あのノート、母子寮でなくしちゃったんでしょ?」と青年が尋ねると、キョトンとした表情であの人は答えます。

「いいえ。ずっと持ってますよ。引っ越しした後も、ずっと持っていました。まだ、おうちのどこかにあるはず」

「じゃあ、勘違いだったんだ…」

長い間、あの人がなくしてしまったと青年が思い込んでいた青いノートは、ずっとずっと持っていてくれたのです。

「あの時の誕生日プレゼントの選択は正解だったな。長い目で見ても…」と、青年は心の中で思いました。

「もう行こう」と青年はうながして、喫茶店の席を立ちます。

あの人は「まだ大丈夫ですよ」と答えましたが、オタオタしていると結婚式の2次会に遅刻してしまうかもしれません。

「君は、いつもそうだから。目の前を大事にして、あとのコトを遅らせてしまう」

いつも、こんな感じでした。あの人は「今」を大切にし、青年は「未来」を予測しながら対処する。だからこそ、歯車がかみ合わないし。かみ合った時には最高の力となる。

渋谷にあるデパートのエスカレーターを降りながら、青年はあの人の表情を覚えておこうと、ジッと顔をのぞき込みます。

「どうしたんですか?」と、あの人。

「これで、最後になるかも知れないから、よく覚えておこうと思って」

「最後じゃないですよ♪」と、あの人は微笑みました。

でも、あの人に会ったのは、この日が最後になりました。

「ほらね。やっぱり最後になったじゃない」と、今から言ってあげたいくらい!


そのあと、渋谷の駅前でひともんちゃくありました。

1つは、あの人が折り畳みのカサを貸してくれようとしたこと。もう1つは、青年が結婚式の2次会の途中までついていこうとしたこと。

その日は、夕方から雨が降り出して、青年はカサを持ち歩いていませんでした。でも、目に見えるか見えないかの小雨だったし、あの人に迷惑をかけたくなかったし、結局カサは借りませんでした。

こういうところも、失敗だったかも。この時、カサを借りておけば、返しに行く口実でもう1度会ってもらえたかもしれないし。それに何より、あの人を「頼る」ことになります。

青年はあまりにも頼らなさ過ぎたんです。だから「この人は、1人で生きていけるほど強い人間だ」と思われてしまった。実際はそうじゃなかったのに…

「遠い昔、『世界を変える40日間の戦い』の時に、この人に頼り過ぎてしまった。毎日、ご飯を作ってもらって、その行為に感謝もしなくなってしまった。1度頼り始めたら、際限なく頼ってしまうのがわかりきっている。だから、2度と頼るわけにはいかない!」

そんな風な強い思いがあったのです。でも、それは逆効果でした…

それから、横浜までついていこうとする青年を、あの人は何度も断り続けました。

「誰かと待ち合わせしてるの?」と青年は尋ねます。

「待ち合わせはしてませんよ。けど…」という彼女の言葉を押し切り、結局、途中までついていくことになりました。

渋谷から横浜方面に向かう電車の中。青年とあの人の最後の会話が交わされます。

「もしも、子供ができたとして、絶対にその子に無理に勉強をさせるようなことをしちゃいけないよ」と、青年は忠告します。

あの人は、不思議そうな表情で見つめ返していましたが、このセリフの意味、ここまでの長い物語を読んできた読者の皆さんならわかりますよね?

それから、「いつか、君を主人公にした物語を書くよ」という青年の言葉に、「なんというタイトルなんですか?」とあの人は質問してきます。

ノドもとまで作品のタイトルが出かかりましたが、青年はグッと我慢して、別のセリフをはきました。

「タイトルは決まってる。決まってるけど、今は内緒♪」

「そうですか。楽しみにしています♪」と、あの人は答えました。

ふと、青年が電車の窓に映る顔を見ると、彼女の顔がとてもやつれていることに気づきました。

驚いて「大丈夫!?ちゃんと寝てる!?」と尋ねる青年に、あの人は答えます。

「私、いつも夜鍋してて。みんなより不器用だから、人一倍がんばらないとダメなんです」

「どうにかして、この人を助けてあげたいな…」と、青年は思いましたが、それはできませんでした。

それに、そんなコト、あの人自身が望んでいないのです。自ら望んで地獄への道を歩み始めたのですから。「学校」という名の地獄を。

そういうとこ、青年に似てました。夢や動機は全然違っていましたけどね。青年は「物語」のためならば、その命をも投げ出せた。「人としての人生」をかなぐり捨ててでも「作家としての人生」を歩めた。

あの人は「みんなのため」ならば、プライベートの時間を削り、睡眠時間を削り、寿命を削りながら、いくらでも戦えた。それが、あの人の幸せだったんです。

最後に青年は言いました。

「いつか、一緒の老人ホームで暮らそう!こ~んな大きな窓のある」と、両手をいっぱいに広げて、窓の形を作って。周りにいっぱいお客さんが乗っている電車の中で。

あの人も、電車に乗っているお客さんも、その光景を眺めながら、みんなキョト~ンとした表情をしていました。

「ちょっとおおげさに言い過ぎたかな…」と青年は反省しました。「こりゃ、嫌われても仕方がないな…」とも。


乗り換えの駅に到着し、電車を降り、「もう、ここでいいよ」と青年は言いました。あの人は、再び驚いた表情をしています。結局、横浜まではついていかなかったんです。

この直後、あの人から感謝のメッセージが携帯のメールに届きました。

「それを読んで、さっきは大げさに言っちゃったけど、大丈夫だったみたい」と、青年はホッとしました。

これが、あの人の顔を見た最後となりました…

noteの世界で輝いている才能ある人たちや一生懸命努力している人たちに再分配します。