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神を超えようと思わない者は、神の足下にも及ばない

ヘイヨーさんも、普段は人当たりよく生きてるんだけど…
スイッチが入っちゃうと、超厳しくなっちゃうんですよ。他人にも厳しいんだけど、自分にも超厳しい!
「目的達成のためならば、それ以外の全てを捨てて戦う!」みたいなモードに入っちゃう。

「鬼滅の刃」の煉獄さんみたいなものなので、「修行が厳し過ぎて、誰もついてこれない」みたいなコトになっちゃうんですw


そんなヘイヨーさんが普段から信条としてるのが「神を超える!」ですよ。ま、言い換えれば「目標は高く持て!」ってコトです。

たとえば、昨日、ピカソの話しましたけど。「え?ピカソ?なに大げさなコト言ってんの?ピカソを超えるとか、無理!無理!無理!」って思ってる人は、絶対超えられないんです!

まずは、どんな強い敵でも「超えてやるぞ!」って思わないことには、何も始まらないんです。

将棋棋士の羽生善治さんも、「将棋の神様がいるならば、平手とは言わないまでも、せめて角落ちで勝ちたい」って言ってるくらいですからね。
そのくらい目標は高く持った方がいい!


もちろん、いきなりピカソを超えるコトはできないでしょうし。そもそも表現方法は、絵画や彫刻ではないでしょう。
それにしたって、ですよ!

まずは「ピカソを超えてやる!むしろ、ピカソなんて通過点に過ぎない!」と意気込みを見せる。それで、どうにか並べるかどうか。しかも、わずか数日で超えるのは無理!

それでも、日々考え続けるんですよ。
「どういう方法だったら、ピカソや神を超えられるだろうか?」と。散歩してる時も、お風呂に入ってる時も考え続ける。
すると、数ヶ月後か数年後かにピカッ!と、閃く時が来るんです。頭の上に電球がともって!

そしたら、あとは試すだけですよ。その方法を。
その方法が上手くいく時もあるし、いかない時もある。とりあえず、やってみる。ダメなら、また次の手を考える。
この繰り返しですよ。

いずれにしても、最初からあきらめてる人には、絶対できません。この領域にすら達することはできないでしょう。


毎日毎日、そういうコトを考えながら生きてたら、最近、神様の気持ちがわかるようになってきました。

「なるほど、そういう気持ちで生きてるのか!意外と、いい友達になれるかも知れない」と。

昔は、神を倒してやろうと考えてたんです。「創作の神」を。剣とか銃を使って!

けどね。最近、ヘイヨーさんの心理もだいぶ変わってきました。

「神を倒さなくても、超える方法があるのだな」と。


ま、そういうコトも生かしながら、次回作に挑戦しています。

noteの世界で輝いている才能ある人たちや一生懸命努力している人たちに再分配します。