見出し画像

魔界では、能力を上げ続けることで自由が保障される

キザオ君の「鉄の軍団」の思想には、全くもって共感できない青年でしたが、「マスター・オブ・ザ・ゲーム」の力が働いていたせいもあって、流血騒ぎになっても劇団は存続されました。

今回のゲームクリア条件は「3月末に行われる旗揚げ公演を無事に終わらせること」

それだけは絶対です!鉄拳制裁であろうが、歯が折れようが、本人が「問題なしッ!」というなら、それでいいでしょう。ただし、同じような事態を2度起こすことだけは許しませんでした。

亀山さんは、その日の内に歯医者に行き、差し歯にしてもらいました。そうして、亀山さんのキザオ君への信頼と尊敬の気持ちは変わらないどころか、ますます強くなっていったのです。

「この人は、本気で私のコトを思って指導してくれたんだ!」とかなんとか考えて。


青年はそんな光景を眺めながら「やれやれ…」と思っていました。彼にとって暴力は「絶対悪」でした。決して許される行為ではありません。

それでもキザオ君の思想に共感できる部分もありました。それは「能力主義」です。「まともな演技ができないなら、舞台から引きずり下ろすぞ!」という部分に関しては「まあ、そうだろうな」と思っていました。

いくら趣味に毛が生えた程度の劇団とはいえ、やるからには本気!全力を尽くさなければなりません。どんなゲームでも命をかけて挑んできた青年にとって、劇団運営も役者も全力を尽くす対象となっていたのです。

なので、キザオ君の容赦ない厳しさを買ってもいましたし、感心もしていました。


みなさん、お忘れかもしれませんが、青年の中には「伝説の悪魔」としての資質も残されているのです。「魔界の王」を目指してるんです。

魔界ってのは結構厳しいものなんです。「能力なき者は去れ!」くらいの勢い!決して仲良しごっこがやりたいわけではなくて、常に己の能力を磨き、研鑽を重ね続けなければならない。その代わりに自由は保障される。青年が理想としたのは、そのような世界でした。

あるいは、ここに「魔界を創造しようとしていた」のかもしれません。頭の中には常に空想の世界と物語があり、現実の世界の出来事を1歩でも空想の世界へと近づけようとする。そういう生き方です。

「空想と現実を融合させようとする行為」は、頭が狂っているとも言えましたし、真剣に夢をかなえようとしているとも言えました。狂気と才能は紙一重なのです。

考えてみれば、歴史に名を残すような偉人たちは皆「狂っていた」と表現しても構わないでしょう。現代からすれば偉業でも、当時の世界の常識からすれば「異端」に思えたはず。

昨日までの「狂人」が、ある日突然「偉人」に変わる。そんなものです。人の評価というのはいい加減なものなのですから。

noteの世界で輝いている才能ある人たちや一生懸命努力している人たちに再分配します。