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「不幸じゃないなんて最高に不幸だ」補足

 ちょい前にこれ書いたんですけど、内容に対する誤解のないようにするための補足です。


 まず、この文章の目的なんですけど、読者に向けた意図が何かあるわけではないんですよね。何かを訴えたいとか、共感して欲しいとか、そういうのじゃなくて、ただただ「自分に心がある」っていうのを信じたくて書き殴った文章なんですよ。

 言ってしまえば苦しみたくて苦しんでるみたいな、マァ「苦しんでない立場の人間があえて苦しもうとしてる」モンなんで、本当にキツい人からしたらなめてんのかって話だし、恵まれた悩み?でしかないのは理解してます。ただ、(周りから望まれるように生きてきたわけでは毛頭ないんですが)流されて生きてきたので、なんか自我?心?がすごい薄っぺらくなってしまってて、それが欲しいというか、あることを信じたいというか、そういう文です。

 

 次に何に苦しんでる?悩んでる?のか。

 「才能があると思い込んでしまったことに対する嘆き」みたいに誤解される可能性は全然あると思うんですが、個人的にそこはかなりどうでも良いんですよね。知ったこっちゃない。

 大事なのは「勉強ができる」ということを己のアイデンティティにしてしまったことなんです。

 自己の能力を自己の唯一性、アイデンティティみたいにしてしまったことで、それが瓦解したときに自己認識が壊れてしまったんですよ。

 そこから夜勉強するだとかカフェインとかそんなんの「わかりやすい行為」を己だと思って演じるというふうになっていってるので、大した変わってないんですよ。

 本当は、自分の意思で選択して、それを自分だと言うべきだった。けれどそれが薄っぺらいから、代わりに周りに見える行動やステータスを己の証明に使ってしまった。そんなものを使ったところで自分の存在の証明にはならないのことに気がついても治せず、演じたらし続けて、それでも自分の意志、心があると信じたくて絵とか創作を書き殴っている、あの文はその一環なのです。


 自己のアイデンティティのなさに苦しむ感情に自己のアイデンティティを見出す、変な話ではあるんですけどね…

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