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契約の箱を触っただけで死ぬの? 聖書考察①

シャローム!
ホーリーランドツーリストセンターの平和です!
今回は聖書の不思議な話考察回です!


聖書の不思議な話

聖書には「ん??」と疑問に思う不思議な話がたくさん存在します。
実際に私が聖書を読んでいて🤔💭となったのがダビデ達がエルサレムに契約の箱(神の箱)を運ぶ話です(サムエル記第二6章)。

"ダビデはユダのバアラから神の箱を運び上げようとして、自分とともにいたすべての兵と一緒に出かけた。神の箱は、ケルビムの上に座しておられる万軍の主の名でその名を呼ばれている。"

サムエル記 第二 6章2節
聖書 新改訳2017

契約の箱をエルサレムに運ぶ時に事件が起きた

ダビデは丘の上にあるアビナダブの家(サムエル記第一7章)にあった契約の箱をエルサレムまで運ぶために精鋭3万人を集めます。
その契約の箱を運んでいる最中に事件が起きます。

"彼らがナコンの打ち場まで来たとき、ウザは神の箱に手を伸ばして、それをつかんだ。牛がよろめいたからである。
すると、主の怒りがウザに向かって燃え上がり神はその過ちのために、彼をその場で打たれた。彼はそこで、神の箱の傍らで死んだ。"

サムエル記 第二 6章6~7節
聖書 新改訳2017

牛がよろめき、契約の箱が落ちないようにと手を伸ばしてつかんだウザが神様の怒りによって打たれて死んでしまいました。

落ちるのを止めようとして触っただけなのになんだかウザ可哀想…
神様自身の臨在を表す契約の箱を触ってはいけないというのも分かるけど…

ダビデとアビナダブ一家の誤った行動

少しさかのぼってサムエル記第二6章3節を読んでみると、面白い事に気が付きます。

"彼らは、神の箱を新しい荷車に載せて、それを丘の上にあるアビナダブの家から移した。アビナダブの子、ウザとアフヨがその新しい荷車を御した。"

サムエル記 第二 6章3節
聖書 新改訳2017

…荷車??!
皆さんが契約の箱と聞くと、

Wikipediaより

このように何人かの人の肩に担いで運ばれている様子をイメージされますよね。

実際に聖書の契約の箱に関する箇所を探してみるとはっきりとこのように書かれていました。

"その箱を棒で担ぐために、その棒を箱の両側の環に通す。その棒は箱の環に差し込んだままにする。外してはならない。"

出エジプト記 25章14~15節
聖書 新改訳2017

なんとダビデとアビナダブ一家は牛が引く荷車に箱を乗せて楽をしようとしたのです!笑

神様はウザが箱に触れたこと以前に
出エジプトに記された契約の箱の取扱説明書を守らなかったことに対してお怒りになりました。

そして案の定、牛がよろめき落ちそうになった契約の箱に手を伸ばしたウザは神様によって

まじめな話
この箇所での問題点は神様の臨在を表す契約の箱の扱いを怠った(神様を恐れなかった)ことでした。

反省したダビデ

事件後に契約の箱はオベデ・エドムに一時的に移されます。
もう一度ダビデは契約の箱を運ぶことにします。

前回の反省から学んだダビデは

"主の箱を担ぐ者たちが六歩進んだとき、ダビデは、肥えた牛をいけにえとして献げた。"

サムエル記 第二 6章13節
聖書 新改訳2017

六歩進んで肥えた牛を捧げるという行為

つまり七歩目が来る位置で捧げものをする。
聖書で大事な数字である(例:神様は7日間で世界を創造された)を連想させます。7についてのことば遊びの記事も出します。

六歩進むごとに牛を捧げるなんて、かかる手間と時間がすごいですよね。
それほどダビデは反省したのではないでしょうか。

最後に

神様ご自身の臨在を表す契約の箱がエルサレムに来るということは
旧約聖書の中で繰り返される一時的なエデンのような場所の再誕生を意味します。
このことに関しては今後の記事で続くテーマになります。

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石田平和 Heiwa Ishida
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