見出し画像

エッセイ 喫茶店、それが私たちの財産です(名古屋のレトロ喫茶)

 「それが私たちボンタイン珈琲の財産です」と最後に流れるCMが子供の頃テレビで流れていました。『ボンタイン珈琲』は名古屋の老舗の珈琲豆のお店です。ここ数年浸透した感のあるスペシャリティコーヒーを20年以上前から取り扱っています。

 子供の頃は「珈琲豆を売るお店」という存在をよくわかっていなかったので、『ボンタイン珈琲』は喫茶店だと思っていました。

 そう。

 クリスマスに毎日ショートショート書いて、アドベントカレンダーを作ろう。アドベントカレンダーであるからにはスキを押すと毎日違うお菓子が出るといい。週末は老舗の喫茶店を紹介しよう。老舗の喫茶店といえば、ボンタイン珈琲だ! これを機に行こう!

 そう決心して、休日のあいまを縫って地図アプリを頼りにたどりついたのがボンタイン珈琲本社です。

 ビル……。(豆の販売だとは気づきつつもイートイン、もしくは直販があるだろうと思っていたひと)

 いや。入り口に看板がありますぞ。

 「小売」の文字です。おそるそる中に入って3階の階段をのぼると、ラウンジのようなコーナーがあり、社員の方が商品を売ってくださいました。

 お土産コーナーでみたことがあるやつです。ボンタイン珈琲の商品なんですね。爽やかな酸味の好きな方におすすめです。

 実は栄にボンタイン珈琲のカフェバーがあります。

 コーヒーカクテルなんかもあるそうです。
 ただ、土日祝日が定休日で、平日は17時(金曜日20時)までしかやっておらず、社畜の私は休暇をとらないといけなくて、クリスマスには間に合いませんでした。今度休みをとって行ってみよう。


 気を取り直して、このシリーズ最後の紹介はレトロ喫茶の草分け、喫茶ボンボンであります。

 創業昭和24年。ソファの椅子席、ランプ風の電灯、壁のステンドグラス。レトロ喫茶でイメージするものがすべてつまった感じ。壁の一面は鏡になっています。「広く見える」ということで昔はよくあった内装です。

 席に通されると、中のお客さんはみんな女性。ステンドグラスの写真を撮ったりしていました。
 向いの席の女の人が
「あーこれ。おじさんちだ。おじさんちでおもてなしされてるみたい」
 とくつろいでいます。
 ……あの人のおじさんちすごいな。
 と思いながら横を見ると、隙のないオシャレで身を固めた綺麗な女性が足のついた銀色の食器でプリンを食べていました。

 モダンだ。かっこよ。
 浮かれすぎず、シックで大人にレトロな空間に染まるにはあれだ。

 ねこのひとは思います。メニューを確認しました。

 プリン、プリン…。あった。これだ。 
 「プリンローヤルとコーヒーください」
 『ロイヤル』じゃないのがなんかいいなあ。と思いながらお店の人に注文します。コーヒーがやってきました。

 カップもちょっとモダンでしょ。ボンボンもコーヒーにおまけがついてきます。

 カステラ。名古屋の人全員がそうかはわかりませんが、私、コーヒーに豆が付いてくるのが日常すぎて、コーヒーを頼んだ時豆がついてこないお店は「けちん坊」、豆じゃないものがついてくる店は「やりおるな」と思ってしまいます。理不尽です。しかし、というわけで、これは「やりおるな」です。しっとりバニラ風味のカステラでした。

 そして、いよいよプリン。

 え?
 あれ?
 いや。思ったのと違う。
 ものすごい、大人気ないのがきちゃった。

 もうお気づきの方もいらっしゃるでしょう。おそらく、横の女性が食べていたであろうシックなプリンは、メニューの一番上のやつです。思いっきり「プリン」と書いてあります。舞い上がって見逃していました。

 なんかもう、もりもりです。子供の頃夢見ていたやつがきちゃった。アイスやら生クリームやらフルーツやらチョコレートソースやらに埋もれているのがプリン。食器もスプーンとフォークの二段構えです。

 おいしくいただきました。
(全然シックに食べられませんでした。幸せです。)


 喫茶店というのは不思議で、お店によって全然内装もメニューも違います。「レトロ喫茶」とか「サードウェーブ珈琲」とかいろんなことを言うけれど、それって、みんな誰かの仕事なんです。
 テーマパークとか美術館とか、そのために作られた「仮想」ではない、本物の誰かの夢(あるいは理想)がそこにはあると思う。もちろん、私たちの日常とおんなじに全然イメージ通りになんかならないし、うまくいかないことがほとんどでしょう。でも、『こうであったらいいのにな』の積み上げでできているのが個人のお店で、なんと私たちはその中に入って気取ったりくつろいだりできるんです。
 仕事、というのは何かを作る一種の魔法で、その魔法でできたファンタジーが街である、と私は思っています。みんな好き勝手で、めちゃくちゃで、悪いこともあるんですが、そこに住む人の夢だったり、幸せに思うことだったりが混ざって何十年何百年も積み上がって今の街になっている。

 特別な能力もなく働いていて、つまんないことが多い毎日なんですが、ごくごくたまにお客さまに握手を求められるほど感謝されたりすることがあります。されなれてなくて動揺しちゃう。
 でも、平凡な繰り返し仕事でも、他人から見たら奇跡のようなことが、たまには起こるのかもしれません。少なくともその人にとってはそうなのでしょう。

 毎日、誰かの夢の中に生きていて、たまに自分も魔法が使える。お互いがお互いの夢になったり魔法になったり。
 そう考えるの、なかなかいいでしょ。思うだけなら自由ですからね。

 さて、次のお休みは誰の夢に遊びに行こうかな。

エッセイNo.32