エッセイ 紅葉より肉団子(#シロクマ文芸部)
紅葉鳥。「もみじどり」と読むそうだが、なんのことだろうと調べたら鹿のことだそうだ。
「奥山に紅葉踏み分け鳴く鹿の 声聞く時ぞ秋は悲しき」の句が百人一首にあるので、「鹿に紅葉」は馴染みがある。同じ辞書の「鹿」の項目に下記のような語誌がある。
まだ少し弱い気がする「萩」も代表格に上がってるし。「紅葉鳥」の起源について、「声が鳥に似ている」とする解釈もみた。鹿の鳴き声をYoutubeにあげている方がいらっしゃったので引用しておく。
確かに、鳥に似ているかもしれない。
冒頭の用例(時雨ふる〜)は後鳥羽院(1180〜1239)の歌なので能因法師(988〜1050)の和歌に関係がある気がする。
嵐吹く三室の山のもみぢ葉は龍田の川の錦なりけり
竜田(後鳥羽院のは山だけど)→紅葉→錦なので、鹿がそれを着て鳥のふりして鳴いている、という連想だろう。
これは現代人の感覚でしかないが、「鳥」と言えば第一に「飛ぶもの」で、飛ばない四足動物を鳴き声だけで鳥と結びつけるのがなんだかおかしな感じがする。
四足動物と鳥の結びつきでまず思いつくのは、兎だ。兎を一羽二羽と数えるのは肉食の禁忌を逃れるため、という話だが、鹿も歴史的に食されてきた動物である。(先ほどの語義にもその旨の記述がある)そして鹿肉の異称は「紅葉」だ。
同じ辞書からの孫引になってしまうけれど、鹿肉としての「もみぢ」の用例である。(鹿肉のお吸い物ってなんだろう)単純に、赤い肉(牛肉や猪肉)を「もみぢ」と呼んだ例もあるようだ。どのくらい使用頻度の高い言葉なのだろう。
「紅葉鳥」をなんとか文章に使えないものかな、と散々考えたのだけど、「紅葉に隠れて鳥みたいに鳴いている」のシチュエーションがどうも思いつかなくて困った。鹿を動物園か奈良公園ぐらいでしか見たことがないのだ。
それよりも
「これは(鹿ではなく)紅葉鳥(という名の鳥肉)」と言い訳して鍋を突いている食いしん坊の姿ばかりが脳裏に浮かぶ。自分の食い意地の証明のようで嫌になる。花より団子、ならぬ紅葉より肉団子。風雅は遠し食欲の秋。
小牧幸助|小説・写真さんの #シロクマ文芸部 に参加しています。
今週のお題は「「紅葉鳥」から始まる小説・詩歌・エッセイなどを自由に書く」です