エッセイ ネコ戦記(8月)
今月から月に1回くらいで公募やコンテストの参加記録を書いていこうと思っています。
確実に立派な記録にはならないです。なぜかと言うと、今からそういったことに参加し始めるのではなく、すでにやっているからで、立派ではない実態を白日のもとに晒す、それだけの試みだからです。
ちょっと遠回りになりますが、まず最初に私が『公募やコンテストに出す』ことの動機についてお話いたします。
あまりオープンにしていませんが、私は社会的に「若い」方の部類に入らない年齢の人間です(確か今年で800歳くらいだっけかな)。『何か書いているよ』ということを周りに話すと嫌味や叱責(『その歳で何やってんの?』)を受けるので、こうした活動そのものを隠して生きているくらいです。
何か書いてきた、という履歴は比較的長く、アマチュアで幼稚園やイベントで人形劇をして回ったり、依頼で他劇団に台本を書いたりもしてきました。
公的には会社員です。体があまり丈夫でなく、働きながら劇団活動をしている際に過労で倒れたため、今はそうした活動をしていません。ただの社畜です。
学生時代や一緒に活動をしてくれた方、依頼をしてくださった他の劇団の方の期待や応援を『裏切った』とずっと思っています。
もう期待をして下さってはいないかもしれないけど、それでも。みなさんの期待に応えることはできませんでした、ごめんね。そうとしか現実は言いようがない。
他劇団に台本を渡すとき、「どこかの賞がとれないものか」とひたすら自分を情けなく感じていました。私の話が気に入って書いてもらっているんだよ、と先方の方が何度言って下さっても、この台本そのものでお客が来る訳ではないことが悔しかった。例えそのコンテスト自体が無名でも「○○賞受賞」と作者概要につくだけで1人くらいはお客が増えるかもしれない。応援してくださる方の力になりたかった。
それは、他のことでも同じ。どこかで成果を出すことが、応援して下さった方々への恩返しになる。そう信じてずっとやっていました。今でもそう思っています。
さて、話を戻しましょう。
本題です。『なぜ公募やコンテストの(多分立派にはならない)記録を晒そうと思うのか』
昔の公募の戦歴なんですが、全ての応募を本名で出していたため、ここでは書きません。本題にも関係がありません。
ただ、「昔やっていて、途中で折れた」という経験がある、それは関係があります。公募作品は、台本と違い、受賞しないと世に出ません。受賞するとお祝いをしてはもらえますが、なんていうか、お祝いというのは、身近な方にしてもらって、はじめて嬉しいものです。逆の場合、そこにあるのは、真っ暗な孤独です。
挑戦している最中も、もしかしたら挑戦に成功した後も続くひとりぼっちの暗闇を、ときどき誰かの『〇〇の賞を獲ったよ!』という成果がかけぬけていくことがあります。仲間のお祝いです。拍手を送ります。でも、光が駆け抜けた分、自分の暗闇が、さらに深くなった気がします。もう、これ以上はいられない。この先は光がない。そう思って、私は活動そのものをやめました。(抽象的表現が続いて申し訳ありません)
だから。
自分より若く、挑戦する勇気があり、才能のある方が、成果の光を得て欲しいと私は考えています。この記録はその支援なのです。
ときおり駆け抜ける誰かの成果は、本当は、無数の、輝くことの出来なかったたくさんの道の一本でしかありません。道の中では一人でも、あなたは孤独でなはない。その証拠に、私の真っ暗な道(苦笑)を開示いたしましょう。先に目的地があるならば、どうか歩き続けてください。くれぐれも、体は大事にしてくださいね。
これは、そういう記録です。
8月の記録
※応募先をなるべく具体的に書いたほうが良い(カッコ悪いけど)のかな、と思ってはいますが、支障がでたらやめます。基本的に結果が明確になったものを記載していきますね。
・7月の星々
twitterで開催されている140字コンテストです。1人5本まで出せます。
140字公募は別に1本のまとめを作って月1でnoteにのせようかと思っています。
後述する、生活のリスケのためです。noteでの創作数が実質減ります。
この度、一席をいただくことができました。ありがとうございます。
なかなか言い出せませんでしたが、実は、去年の夏から毎月応募し続けています。1年間続けての一席。つまり60本中の1本です。
ほら、あけすけに実態をお話するのと、ただ受賞の報告だけするのとでは、印象が違うでしょ。
星々は毎月与えられたテーマ(漢字1文字)に対して書きます。語彙を見つめ直すいい演習になります。とりあえず「弓を放つ」。遠隔武器が好きなのです。
「放物線」。5本提出できるので、手法やテイストを全部変えたい野望があります。入賞以上に、文章の表現技法の演習を目的にして参加させていただいているからです。Q &Aの特殊技法。目指せ140字以内のビビッドな視点移動。(紙面→窓→宇宙)
ツイートを目にして下さった水上洋甫さんが朗読をして下さいました。(私側は『サイエンス』を主眼に書いているのに、こちらはなんだか『サイエンスフィクション(ガンダム?)』風になっています。表現者の力を感じます。よかったら聞いてみて下さい。素敵なお声ですよ)
こうした嬉しい出来事がある度に、喜ぶと同時に『自分の書いた物だから聞こう』というお客さんがいるわけではいことを情けなく思います。実力が欲しい。
味噌作りが趣味です。たまに友人知人にあげたりします。「どこの馬の骨とも分からないねこが3ヶ月前に茹でて常温で放置した大豆を食して大丈夫なのかい?」とタッパーを渡す手が震えます。「おいしかったー! お母さんもおいしかったって喜んでたよ!」と感想をいただくと「どこの馬の骨(以下略)をなんの疑いもなく家族で食べたのかい?」と口に出して言ってしまったりします。不気味だと思います。だってワンダーなんだもの。
実話です。実家が観光地にあり、最も華やかだった時代、小学校はグラウンドを駐車場にして儲けていました。収益は全て校内の図書室の本と放送室のレコードに還元されており、ひと昔前の絵本とレコードが大量にある変な学校でした。子供が管理しているため、放送室のレコードはジャケットと中身がぐちゃぐちゃ。放送委員だった私も、月面着陸のレコードに何が録音されていたのか、本体を見つけることはできませんでした。
「放牧」。ご選出いただきありがとうございます。
もしも、こうした賞に応募を考えていて、尻込みしたり、ちょっと折れたりしている方がいらっしゃったら、リンクしているツイートのいいねの数を見ていただきたい。この記事の投稿時点で、いいねが7です(誇らしげ)。受賞時にありがたいことに、少し見ていただいての7。他の投稿もそうなんですが、私はツイッターでたくさんいいねがもらえるような書き手ではありません。
でも、こうして日の目をみる時もある。
どうか、目標があるなら続けてください。そして他人の評価なんかいったん置いて、ご自身が楽しむことを忘れないでください。
「飛ぶ教室」(児童文学雑誌)
「飛ぶ教室」は四半期発行のこどものための文学雑誌です。毎号、童話と短編小説の作品募集があります。
児童文学への憧れがあります。ここへの応募を密かな目標としていましたが、まったく書けないまま締め切りを逃しました。手帳にも締め切りを書いていたのに。
情けなくて2日くらい泣いていました。
前述したように、私には「誰も読まないかもしれない」と思うだけで書けなくなる悪癖があります。note側が続いているのは、読んでもらえる可能性が高い媒体だからです。
だけど、自分が何をやりたいかは、ちゃんと考えなくてはいけないと思う。
私は、体があまり丈夫ではなく、睡眠に関する機能に障害を持っています。具体的には約2時間おきに、一瞬だけ、寝てしまいます。
「2時間おきに起きる」という方が感覚的には近いです。眠いのを我慢する余裕もなく、いきなり意識が切れます。意識が切れる前の30分くらいは床にはいつくばるほど眠い。2時間おき、とはいっているものの、本当にしゃんとしているのは1時間ぐらいです。あとはずっと眠気との戦いです。
医者ではカフェインが支給されると言われていますが、体質的にカフェインに弱く、コーヒー等を1日2杯に制限しています。それ以上飲むと体調を崩しやすくなります。
早寝早起き、食事、適度な運動。症状を改善するにはそれしかないそうです。実際、きちんと生活を管理できている間は、ほとんど意識せずに暮らせます。仕事に影響が出るため(居眠りというのは非常な悪評をもって社会生活に受け取られます)、ここは死守しなければなりません。
現在、私の体力的に、1日でちゃんとコントロールして書けるのは、だいたい2,000字までです。それ以上書くと、夜、軽い痙攣が起きます。多分、神経系が弱いのだと思う。私の睡眠障害は、興奮時の脱力発作をともなうものです。感情の激しい上下があると全身の力が抜けます。そうやって、身体が動かなくなる感じに、疲れるとちょっと似た症状がでる。問題が体力ならば強化ができるはず。少しづつ慣らして、限界値をあげたいところです。
私の考えとしては、こうです
1)noteと並行ならば、公募を孤独にならずに続けることができる
2)ただし、そのための活動時間と文字数は上限がある
2)の方に対する考えが甘かったために、公募に適切な時間をとることができませんでした。自分は他人より持てる時間が少ないのだということを、私はもっと自覚するべきです。
というわけで、ちょっと生活のリスケジュールを行なっています。
SNSの規模を自主的に縮小したりもするかもしれません。申し訳ありません。もともと付き合いの悪い人間ですが、本当のところ、付き合いをするだけの能力(体力)がないのです。帰宅しても意識が酩酊していたりして、一回眠らないと活動できなかったりします。(そして夜は早く寝なくてはならない)。定期的に悲しくなって泣いたりしますが、人並みにはできないのが現実なのです。認めなくてはいけません。
次の締め切りは、間に合えたらいい。
そして、自分の悪あがきが、誰かひとりにでも、役に立ったらいい。
そう思っています。
ねこからは以上です。
君のいく道に光あれ。