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夜の院内を歩く人影

父は家族で唯一、“不思議な体験”をする人だった。私にとっては、“本当にあった怖い話”を体験者その人の口から聞いた最初の人であった。思うに父は、怪談奇譚の類には本来まるで興味のない人だが、それなのに不思議な体験をするのだから、なおのこと興味深いと私は思っていた。

とはいえ話のほとんどは“定型的”で、例えばそれは、出張先の宿で夜ふと目を覚ますと部屋の隅に軍服の男性が立っていたとか、子どもがいたとか、そういうものだ。しかも生の体験談であるだけに、どの話にもこれといったオチはない。次に述べる父の勤務先での出来事も、そのような話である。

私の父は昭和20年代生れ。技師として公立の病院に40年も勤め、私と妹を育ててくれた。定年を迎えたときは、「公務員として、みんなのために、もう十分頑張ったのかな」といって、「いっぺん働いてみたかった」と試験を受けて魚市場に就職。そんな父を、私はなんとなく誇りに思っている。

父が勤めた病院は、海と港とを見下ろす坂の中腹にあった。病院の規模は比較的大きく、数階建ての建物が数棟以上あったと記憶している。
しかし、山麓の傾斜地につくられた段々畑のような敷地で建て増しを繰り返したためか、A棟の2階はB棟の3階で、かつC棟の4階につながっているといったふうに、迷路とまではいわないけれども、内部は複雑だった。

父のいた部署は、段々畑最下段の建物(仮にF棟とする)にあり、2階のほぼ全体を占めていた。F棟は東西に細長く、父の部署は1本の長い廊下を背骨にし、その両側に多くの部屋を持つ構造となっていた。部署の入口は、その背骨廊下の東端にあり、「宿直室」が入口の手前にあった。宿直は管理職以外の技師1人が交代で朝まで詰める。

不思議な話とは、夜中、その宿直室の前を誰かが通るということである。

宿直室のドアは、上半分に大きめの擦りガラスがはめ込まれており、廊下は夜間でも真っ暗にはしないため、誰かが通ればわかるし、その人がどのようなものを着ているかくらいはわかるそうだった。
何者かの影は、必ず東から西へ、つまり、宿直室の前を通って父の部署の入り口を入り、背骨廊下を進んでいく。
父が見た人影は、たいていが綿入り半纏を着ており、そうでなければパジャマ姿であったという。

人影に気づいた父は当然こう思う。
「入院患者かな。大変だ」
父は急いで宿直室のドア開けるが、通路には誰もいなかった。各部屋を見てまわったが、やはり誰もいない。
「気のせいか」

このようなことが何度かあったそうだ。しかも、人影を見たのは、父だけではないという。いったい誰なのか。

その人影は霊安室に行ったのではないかというのは、この話を聞いた母の説である。
たしかに霊安室は、父の部署があったF棟にあった。しかし建物は同じでも霊安室は1階にあって、父の部署から直接そこへ行ける通路はない。仮に父の部署を通って霊安室に行くとすれば、長い背骨廊下の突き当りの壁を通り抜け、外の空中を数メートル行ったところで下に降りなければならない。というのも、霊安室は棟の西端から突出するかたちでつくられており、そこが霊安室の真上に当たるためだ。母の説どおりなら、影は霊安室の中へ天井から入ることになる。

しかし、母のいうように、その影が本当に霊安室に向かっていたなら、それまでどこにいたのだろう。あるいはそもそも、なぜ霊安室に行くのだろう。また、なぜ入院していたときの半纏やパジャマを着ているのか。

何もかも謎のまま、病院は移転した。