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息子はキュウリ馬に乗って

 お盆のことですけれども、私は、息子がどこかから帰ってきてどこかへ帰っていくという感覚が、ずっと希薄なままです。何故か、そういう信心に至りません。残念なことかもしれませんが、だからこそ息子がずっと一緒にいるような気がするのかもしれませんし、親として安心する面もないではないです。

 一方で、息子は今や(自分の意志ではなかったとしても)すばらしい戒名を授かった一人の仏弟子です。つまり、修行中です。修行の場とは、何処であれ今いるところが修行の場なのでしょうが、修行には修行に相応しい環境というものもあるでしょうから、息子にも、彼が今過ごすにふさわしい世界や場所があることでしょう。ですから、親である私がこの先も「息子はずっと一緒にいる」という感覚のままでいいのかどうかとも思います。

 しかし「息子はずっと一緒にいる」といっても、12年前の火葬の日、彼の棺には、「向こう」で新生活を始めるうえで困らないよう、いろいろなものを入れてあげたのでした。例えば、木製の食器。「向こう」に行ったら一人でちゃんとご飯やおやつを食べられるようにという、願いと心配からです。

 「向こう」がどんな世界か、私は知りません。そんな未知の世界へ、障がいのある息子をたった一人で送り出さなければならないのだと、当時は思っていました。ですから、何不自由なく過ごせるよう心から祈り、先に「向こう」にいるはずの親類にも「息子を頼みます」と願ったものでした。

 棺には、靴も入れてあげました。「向こう」では歩けるようになるだろうか、いや「向こうの世界」のことだから、きっと歩けるようになるに違いない、などと自分に言い聞かせて棺に納めたわけです。

 でも事実とはいえ、よく考えると、おかしな話です。

 私は、「『向こう』は不自由が一切ない世界のはずだ」と自分に言い聞かせつつ、「『向こう』で困らないように」といろいろなものを棺に納め、それなのに、「今も息子は一緒にウチにいる気がする」などと言っているのです。

 自分で自分がよくわかりません。

 また一方、「息子はずっと一緒にいる気がする」と言いつつ、お盆にホウズキを飾るのです。あれは、亡き人が帰ってくるとき目印にする盆提灯に見立てた飾りです。精霊馬しょうりょうまも置きます。見れば見るほどユーモラスな、キュウリ馬とナス牛。可愛いですよね。精霊馬は、亡き人が行き来に使う乗り物だそうです。

 つまり、亡き息子をめぐる私の感覚や行動には、ぜんぜん一貫性がありません。

 しかし、仏教の行事としてのお盆だって、なんか変なところ、ありますよね。例えば精霊馬は、菩提寺の盆棚にも置かれますが、だからといって仏教由来であるような気がしません。とても興味深いですが、あれは仏教というより、陰陽道(っぽい)ですよね。

 これは前にも書いたことがありましたが、精霊馬は、亡くなった人たちの乗り物ですから、「依代よりしろ」の一種にも見えます。ですから精霊馬は、もともと疱瘡神(天然痘の神)など災厄をもたらす鬼神を乗せて祓うための依代が原型だと考える説もあるそうです。

 依代となると、仏教ではなく神道、あるいは陰陽道です。

 陰陽道といえば安倍晴明(921~1005)ですが、その師・賀茂忠行(生没年不詳)の息子に、晴明の師か兄弟子だった賀茂保憲(917~977)がいます。凄腕の陰陽家だったそうです。晴明はお母さんが狐だったとか、幼少時から人ならぬものを見ていたとか色々な伝説がありますが、保憲もまた天性の「見鬼けんき」で、10歳にして鬼を見、父を驚かせたとか。

 『今昔物語集』(12世紀?)に、こんな話があります。

 保憲は10歳のとき、父・忠行について祓えの場へ行った帰り道、父にこう尋ねたといいます。

 「父上、あのとき私は(祓えの場で)、恐ろしい姿形をした……といっても、人ではないが人のようなかたちの者どもが20~30人現れて、お供え物を食べ、(造り置かれていた船、車、馬などに乗って)去っていくのを見たのですが、あれはいったい何だったのでしょうか」

 忠行は驚きました。

 「私は今でこそこの道の第一人者だが、この私でも、こんな幼い時分にそうやって鬼神を見ることなどなかった。私は習ってようやく目に見えるようになったのだ」

 その後、忠行は自分の知るすべてを保憲に伝授したそうです。

 祓えの場に用意してあった船、車、馬が依代ですが、精霊馬のようですね。お盆の行事は、仏教、施餓鬼の思想、日本固有の祖霊信仰など、いろいろな思想・信仰の混淆したものだと聞きますが、本当にそうなのだろうと思います。

 でもまあ、うちの息子がキュウリ馬にまたがってパッパカ帰ってきて、戻りはナス牛の背にゆられてのんびりだなんて、想像すると、なんだか可笑しいです。

 写真は12年前の息子の初盆のとき、妻から教わりながら初めて作ってみた精霊馬です。ユーモラスで、かわいいでしょう。行事の由来が何であっても、大切な人を追慕し、感謝し、大切な人のために何か自分にできることがあるというのは、とても幸せなことなんだなと噛み締めたものです。