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お盆ですね。今年も息子にと、北海道にいる私の両親からゼリーや水羊羹の詰合せが届きました。お盆に送ってくれるお供え物は毎年同じ。両親にとっては「お盆といえばコレ」という定番なのかもしれません。なんにせよ、ありがたいことです。 実家にも息子の位牌があります。あちらのお宗旨では、息子は「浄土」にいるようですが、お盆になれば北海道にも東京にも帰って来て、お盆が終わったら浄土へ帰るということです。しかし私は禅宗で、浄土にいるとはうかがいませんが、何処であっても、幸せであろうかとか、
子どもの頃から、夏は私にとって、一年のうちで最も強く、多くの「死者の存在」を意識させられる季節でした。 理由は多分、いろいろとあります。原爆の日、終戦の日、甲子園球場の黙祷、7月のお盆と8月のお盆、お祭りの踊り、お墓参り、怪談噺、心霊番組、百物語、稲川淳二さん――。 それから、私は北海道の生まれ育ちですが、俗にいう、お盆は海へ行かない、山へ行かないといった話も聞いた気がします。子どもの頃、塾の先生がよく聞かせてくれた怖い話にも、お盆の時期の海や山の話がありましたが、
お盆のことですけれども、私は、息子がどこかから帰ってきてどこかへ帰っていくという感覚が、ずっと希薄なままです。何故か、そういう信心に至りません。残念なことかもしれませんが、だからこそ息子がずっと一緒にいるような気がするのかもしれませんし、親として安心する面もないではないです。 一方で、息子は今や(自分の意志ではなかったとしても)すばらしい戒名を授かった一人の仏弟子です。つまり、修行中です。修行の場とは、何処であれ今いるところが修行の場なのでしょうが、修行には修行に相応し