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3月17日:寄り添うだけで「支援」だとは思えない。

おはようございます。

昨晩の地震はみなさん大丈夫でしたか?
僕のところは明確な被害はありませんでした。

法務教官時代なら、揺れがおさまると同時に施設にダッシュするところでしたが、昨日は娘の安眠を確認しつつ冷静に東北の親戚の安否確認だけ行いました。

法務教官や刑務官はきっと大変だっただろうと思います。

さて今日は、一応カウンセラー的なこともしている僕の個人的なスタンスについて。「寄り添うだけって…現実的を軽視しすぎてない?」という話です。

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よくわかりませんが、生きづらさを抱えている人ほど感情に飢えている気がします。

愛情
友情
理解
共感
信用
信頼

それらの目に見えないものへの飢えが、なかなか満たされない。結果、安定さを欠き、社会に対する適応的な行動が取れなくなる。

そんな自分を起点に思考を巡らせるから、欲求も自己理解もそこに向かう。

誰も理解してくれない
誰も自分を愛してくれない
誰も自分を必要としてない

それを与えてくれる存在を求めてヘンテコな人間関係を構築したり、それを与えてくれない家族や社会への不満を募らせる。

必要なのは全面的な受容なのかもしれない。そういう意味で、ただひたすら寄り添うことに意味はあると僕は思う。

本来、生まれてからの最初の数年間で経験すべきだった絶対的で全面的な受容…。それを積み直すことは、確かに必要なんだろうと思う。

でも

それだけやってりゃいいかというと…そうでもないと僕は思う。

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放デイのスタッフをしながら、わが子の非行に悩む保護者からの相談に応じたり、教員等への研修などを行っています。記事をご覧いただき、誠にありがとうございます。