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憧れの人はアインシュタイン。

1.科学者か思考家か

「科学的」という言葉は大抵の場合、「観測されたデータによって」と言い換えることができる。

科学的に証明された理論とは、厳密に管理された実験の結果(データ)によって証明された理論ということだ。

データを取るための実験は、常に「仮説」にもとづいて設計される。

仮説がなければ実験はなく
実験がなければデータもない。

仮説とは、「まだ証明されていないが恐らくこうだろう…」という理屈であり、それはつまり思考の結晶だ。思考なくして科学的な理論は生まれ得ない。

その最たる例がアインシュタインだろうと思う。

今から100年以上前…実験器具も観測機器も今より遥かに稚拙な時代に、圧倒的な思考によって相対性理論を打ち立てた。

理論上、こうでなければ筋が通らない…

そんな思考の積み重ねによって生まれた理論は、その後数十年経ってようやく「科学的に証明」される。

まだすべてが証明されたわけではないらしいが、それでも「おおむね真実らしい」という判断で様々な機器の論理的な基盤として採用されている。

科学の世界に、実験ではなく思考で突破口を開いた彼の姿勢は…二言目にはエビデンスとかぬかしてる今のエセ教育者たちには想像もできないことだろう。

アインシュタインは科学者だが、実験家ではなく思考家だ…と僕は思っている。

実験器具しか信じない人達がその後数十年追いつけないところまで、脳みそ1つでたどり着く…臨床家の手本のような人だ。

・・・・・・・・・

2.現場のプロの矜持

知恵は現場にあり。
学者が仮説の基にするような実践を。

僕が法務教官時代に自分にも他人にも言い聞かせていた言葉。

意識も心も脳も、その実態はまだまだ科学的に未解明のことばかりだ。心理学はせいぜい200年程度の歴史しかなく、それに比べれば宗教や芸術の方が「人間の実在を解き明かそうと思考した時間」は遥かに長い。

教育や育児という営みは人間が「科学」なんてものを作り出すより遥か手前から存在している。そして科学以前からの教育や育児が、ある程度成功してきたからこそ、僕たちは今こうして生きている。

子育てや教育という営みに対して、科学はまだまだ無力…というのが僕の見解だ。ある意味で、脳や心を解明できていない科学ごときが、教育のすべてを牛耳るなんて滑稽な話だとすら思う。

心理学の専門家が必ずしもコミュニケーション能力に長けてるとは言い切れない。同じように、科学に長じた人間が教育者として優れてるとも言い切れない。

エビデンスなんて言葉に踊らされてんじゃねぇよ。

今の科学じゃ追いつけねぇだろ?

カメラに向かって舌を出すくらいがちょうどいい。


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放デイのスタッフをしながら、わが子の非行に悩む保護者からの相談に応じたり、教員等への研修などを行っています。記事をご覧いただき、誠にありがとうございます。