見出し画像

会話の目的は「つづける」こと。

中学校や放デイ…

いろんな現場に顔を出していると、先生やスタッフの会話に対するスタンスがざっくり2種類だなぁと感じます。

①意味のない会話ができる人
②会話に意味しか持てない人

です。

結果として…

①雑談ができる人
②雑談ができない人

になります。

福祉業界は②が多いと感じています。(例外的に「③雑談しかできない人」もいます。)

②の人は、話の中味(意味)しか見てない。だから、こどもの話にいちいちまちがいを指摘する。会話が深まらないし、進まない。ぜんぜん盛り上がらない。

「先生、昨日◯◯したんだー!」という発言。「へぇ〜それで?」と次の発言を促せばいいだけなのに、「先生も言ったことあるよ」とか言っちゃう。あんたの情報を出す前に、もうちょっとこどもの話聞きなよって。

口を開けばダメ出しか自分の経験。こども自身の発言を深堀りすることはできず、こどもの発言をきっかけに、思い浮かんだ自分のエピソードを話して終わる。超もったいない。

会話というのは、「意味のない会話をたのしくつづけること」にこそ価値があるんじゃないかなぁ。

言葉づかいや情報の正確性をいったん無視して、とりあえず子どもが言いたいことを最後まで言わせてあげればいいのに…。

そしてこれ…

たぶん家庭でも起きてる問題なんだと思います。

ここから先は

437字 / 1画像
この記事のみ ¥ 580

放デイのスタッフをしながら、わが子の非行に悩む保護者からの相談に応じたり、教員等への研修などを行っています。記事をご覧いただき、誠にありがとうございます。