「やりたいこと」なんかなくてもいい。
先日,こんなツイートをしました。
「やりたいことがない」ということが,
「悩み」として言われるようになって久しい。
少年院でも,学校でも,家庭でも,
こういう場面は少なくないように思う。
まぁ,わからないことはないです。やりたいことがないってのは,なんとなくしんどい。僕もまぁ…たしかにそういう感覚だったこともある。
でもね…
よ〜く考えると変な話だなと,
今の僕は思うのです。
「やりたいこと」なんてなくてもよくね?
…いや,もちろんやりたいことがあるのは素晴らしいことなんですよ。「やりたいことがある」という状態は素敵だし,それを否定するつもりは一切ない。
だけどね…
「やりたいことがあるのは素晴らしい」と
「やりたいことがないのはだめだ」は…
一致しないじゃないですか。
「やりたいことがない」に悩むのは,前提として「やりたいことがなきゃいけない」というような,ある種の強迫観念があるからだと思うんです。
考えてみたらそういう,無駄な強迫観念に苦しめられてる状況って結構ある。
学校は行かなきゃいけない…
女性は結婚して子どもを産まなきゃいけない…
SNS使ってなきゃいけない…
どれもよく考えたらそんなことないのに…圧倒的多数派のスタンスを背景に,そうではない自分が悩むことになる。
そもそも「少数派」というだけでしんどいのに,しんどさに更に追い打ちかけて,強迫観念から悩み,苦しむことになる。
「やりたいことがない」が悩みとして語られる背景には…
「将来やりたいことはなんですか?」
という問いから始まる進路指導や
「夢を持つことは素晴らしい」
「具体的な目標を持っていない人間はだめだ」
という学校や社会の風潮がきっとある。
たしかに,夢を追う人間は時に強くなるし,目標の具体化をきちんと行っている人間の方が,着実に確実に人生を前に進めている気はする。
でもね…
山登るのに,ロープウェイを使うのも,ヘリからロープでてっぺんに降りるのもいいけれど…ゆっくり道草を楽しみながら歩いていくのだっていいわけじゃん。それで頂上行かずに帰ったっていいんだ。登頂だけが登山じゃない。
「やりたいことがない」ならないなりに生きればいい。
「やりたいことがない」ことに悩む必要なんてない。
というか…
学校で「やりたいことがある!」と声高に叫ばれすぎる方が,個人的には少しもったいない。
人間は知らないものの中からは選べない。
まだまだ世の中も自分も知らない人間が「やりたいことがない」のはむしろ当然なんだ。やりたいことなんて,まだなくていい。
マックとモスしか知らない人が選べるのは「マック」か「モス」か「どちらでもないどこか」かだ。
「やりたいことがない」というのは,今まで触れてきたものの中には,やりたいものがなかったということ。
それなら簡単だ。
「まだやったことがないもの」をやればいい。「やりたいことがない自分」に負い目を感じる必要はない。
死ぬまで「やりたいことが見つからなかった」としても,それはそれでいいじゃないか。
でも
「やりたいことがない」に悩んでいるということは,理由はともかく,きっと「やりたいことを見つけたい」のだろうと思う。
だから…
まず…
やりたいことがない状態に不安を抱えるのはやめよう。
やりたいことなんかなくたって,貴方は今日も生きてる。
「やりたいこと」は生活必需品じゃない。
「好きなアーティストがいない」とか
「クラスに好みのタイプがいない」なら
そんなに悩まないでしょ?
「ま,そのうち出てくるでしょ!」と思えるじゃん。「やりたいこと」ってその程度のもんだよ。
僕は今,法務教官をやってる。
塀の中で,非行少年と向き合う仕事だ。
中学校の教員を目指していた僕だけれど,
法務教官は天職だと思ってる。
でもね…
僕は法務教官なんて仕事…僕は大学生まで知らなかったんだ。「やりたいこと」じゃなかった。知らなかったから「やりたいかどうか」すら考えたことがなかった。
だけどそんな,かつてやりたいかどうかなんて考えたことすらなかった仕事を,今続けている。天職だとも思えている。
今,法務教官は僕の「やりたいこと」になったけど,「やりたいこと」だからといって,これをずっと続けるとは限らない。
「やりたいこと」なんてなくてもいいし,
あったってやらなくてもいい。
1つじゃなくたっていいし,
0でもいい。
やりたいことがない…?
ないならないなりに,道草を楽しみながらのんびり生きたらいいよ。目標に邁進することだけが,人生じゃない。
太陽は,地球を照らすために光ってるわけじゃない。ただ「在る」だけだ。
できるなら「これまでの自分とはちがう経験」をしてみたらいい。
まずは,普段通らない道を歩いてみるといいよ。その道を歩いた結果,「やっぱこの道も通りたくないな」ならそれでいいんだ。ひとつ大きな発見をしたんだから。
今日も,目的のない散歩のような人生を楽しもう。
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この記事は,大切な友人へのお返事のつもりで書きました。いつもありがとう。心からの感謝と激励を込めて。
放デイのスタッフをしながら、わが子の非行に悩む保護者からの相談に応じたり、教員等への研修などを行っています。記事をご覧いただき、誠にありがとうございます。