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「楽しく遊びたい」という支援者とその対極にいる僕。
法務教官の2年目、一年でもっとも大きなイベントである運動会を2ヶ月後に控えたある日、その実質的な責任者である体レク(体育レクリエーション)主任が病で倒れた。
短期間での復帰は絶望的で、体レク主任は当時、医務課担当だったベテランの先生が代行することに。僕と同期を誘って近所の銭湯に行き、帰りに中華料理屋で酒飲んでた大先輩だ。
代打が決まると同時にその先輩が幹部にこう宣言した。
このタイミングだから事務分掌は無視して動きのいい奴でチーム組んで動きます。
結果…
2年目の僕と同期が、急遽、運動会の企画運営及び指導の担当者として駆り出されることになった。
必死に走りきったけど、正直な話、その年の9月が終わる頃には「はやく運動会終わってくれ」と思ってた。折り悪く運動会の前日が当直になり、当日を非番で迎え、そのまま朝食も昼食もとらずに運動会を最後まで運営した。僕の体重は一日で3kg減ってた。
運動会終了後、体レク主任の代打を務めた先輩が連れてってくれたいつもの銭湯で、僕は普段あまり浸からない水風呂に入ってほとんど動かなかった。一日動き回って火照った身体がいつまでも冷めなかった。
今思えばあそこが分岐点だったように思う。
僕は「子どもたちと一緒に今を楽しむ先生」というポジションを手放した。
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拝命わずか1年半の若手が2人で、来賓や保護者も数多く出席する運動会を見事に指導・運営しきった時、僕らの周りで明らかに空気が変わった。
「期待の若手」から「主力」になり、明らかに発言力や信頼が増した。
困ったらアイツに頼めばなんとかなる…
そんな空気が流れ始めたのは、そこからそう間もない頃だったと思う。
以来僕は、行事といえば運営に走り回る人間になった。起案には書ききれない細かいリスクを拾っては潰し、本番では突発的なトラブルをいち早く鎮火した。
僕の務めていた施設では「子どもと一緒に汗をかく」が基本とされ、駅伝大会やフットサル大会では職員チームが参加してガチンコ勝負。優勝して堂々と表彰されることも多かった。
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放デイのスタッフをしながら、わが子の非行に悩む保護者からの相談に応じたり、教員等への研修などを行っています。記事をご覧いただき、誠にありがとうございます。