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5月21日:なんかTwitterがにぎやかな一日でした。
おはようございます。
自宅の庭のすみっこにブルーベリーを植えました。実るかなぁ…。
へいなかです。
今朝はランニングの代わりにウォーキングをしました。「散歩中」という雑なタイトルでスペースを開いたら25人くらい聴きにきてくださって、とっても驚いたのですが…
残念ながら誰も声を出してくださらず…37分間一人でしゃべり倒しました。生活習慣や閉鎖的な職場と社会生活のバランス、へいなか家の子育てや教育現場における思考など…
ひたすらしゃべり倒して楽しい時間でした。
経験している答えの中から選んで反応として出力する。
— 瑞月さえ🌸🌱育休中 (@sae_mizuki_) May 20, 2022
思考法を用いて意識的に対応する。
この差は支援者や教育者として物事を考える大事なフックだなぁ……
思考が促されて気持ちいいお話。https://t.co/NlF9jBKc2V
が
そうこうしてる間に大変なことが起きてました。
今日はその話を。
・・・・・・・・
ウォーキングに出かける前にこんなツイートをしました。
「もう学校に教育を丸投げする時代は終わったよ」という保護者のツイートを見た。
— へいなか @アベアキラ (@Heino_naka) May 20, 2022
ごめん
最初からそんな時代は存在してないよ。
正直な話、140字の中でもう少し言葉を続けようか迷った末に、あえてこれ↑で終わりにした。
多少波風立つだろうなと思いつつ、「存在してないと思うよ、僕の認識では。」と打っていたのを修正して投稿。
その直後に家を出てウォーキング。約40分後にスペースを閉じたらその時点で230いいねになってて驚いた。
あれまぁ…
って感じ。
あれから10時間。まだちょろちょろ拡散されて、リプライも飛んできてる。僕の4年強のTwitter歴の中でも一番ハネたツイートになった。
とりあえず思ったのは…
あぁ…インフルエンサーって大変なんだろうなぁ…
ってこと。
たまたまツイートがちょっと拡散されただけだけど、やっぱり反応は様々で、否定的なのももちろんある。
230RT 2200いいね
こんなの「バズった」と言うほどのもんじゃない。でも話題が話題なだけに先生・保護者の両方からいろんな反応が来るし、否定的な反応の人ほど何度も何度もコメントするから、結果そっちの方が目立つ。
当然ながら他のツイートにまで的を拡げて勝手に議論を始める人もいて実に興味深かった。
ありがたいことです。みんな自分の時間使って読み込んで反応くれるんだから。
当然、こちらも言いたいことはなくはないんだけども、反論・議論は一切しなかった。まぁ正直な話、僕はひねくれてるので…
どうも!思慮が浅く、教育を語る資格のない男・へいなかです!
とか呟いて火に油そそいだろうかな…と思ってウズウズしたんだけどやめといた。娘と遊んでたし。
で
とりあえず通知欄に出てきたやつにはその内容に関わらず全部いいね押して、ひたすらRTしといた。
結果タイムラインは賛否…というか立場の違う否否否の山が積み上がったけど、それも含めおもしろい一日になりました。
みなさまどうもお騒がせしました。
せっかくなので少しだけ僕の意見を。
・・・・・・・・
どこからどこまでが教育なのか…という議論はしません。
大人が子どもに関わる…そこには必ず教育的な営みがあると僕は思っているし、教科教育も道徳も、もちろんしつけも教育の一部だと思ってる。
その中でどこまでが学校教育の守備範囲なのかって話も大事なんだろうけど、そこは今僕が論じたいことじゃない。
結論はほぼツイートのままで、要するに僕は「教育を学校に丸投げする」なんてのはズレた話だと思ってる。で、それは今も昔も変わらないと。
もちろん
学校の先生の中には「すべておまかせください」と言ってくれた人もいるだろうけど、仮にそう言ってもらえたとて、本当にすべてを丸投げするなんてのは保護者の立場としてズレてると思うんだ。
そんなのいつの時代でも一緒。ツイートに書いた「最初から」というのは文字通り、「学校」なんてものが生まれた瞬間からずっとだ。
ちなみに…
世の中には保護者による適切な保護を受けられなかった人がいることも当然わかってる。少年院の中で向き合ってきたのはそういう子ばかりだったしね。
だけどそういう個別具体的な現実の話ではなく、教育や学校に対する態度として「丸投げ」はズレてる。
・・・・・・・
ぶっちゃけ、今朝僕が目にしたツイートの詳細は憶えていない。
ただ
丸投げできる時代は終わった。
学校に任せてはおけない。
という話だったように記憶してるし、そこに「だから学校に協力しよう」という雰囲気はなかったように僕は思う。
ゆえに
何言ってんだろうな…と思ったし、意味がよくわからんかった。
現状の学校が「安心して子どもを任せるに足るものではない」という話には一定の理解ができる。僕も若干そう思っている。
でも
そもそも、保護者が誰かやどこかに教育を丸投げしようとすることは、いつの時代のどんな場所だろうとズレてると僕は思う。学校や社会の状況とは全然関係のない話として。
現実に丸投げしかできない状況の人がいるのはわかる。でもそれは「まるごと頼らざるを得ない」という話であって、「丸投げできる」という話ではない。
・・・・・・・
お客様は神様だ
という言葉が、数十年前に市民権を得た。でも、昨今それを言うのは売り手ではなく買い手の方だ。しかも店に文句を言うクレーマーに限ってそう言っている。
「お客様は神様だ」ってのは、売り手側の心持ちの話であって、客が言っちゃいけない言葉だ。
今回のも似たようなもんだと思う。
時代だのなんだのは関係なく、そもそも教育は誰かに丸投げするもんじゃない。結果的に丸投げしてしまう人はいるかもしれないけれど、丸投げありきのもんじゃないんだ。
・・・・・・・
教員の側も思い上がっちゃいけないと僕は思う。(そんな教員ほとんど会ったことがないけれど…)学校は子どもの教育のすべてを担う場所じゃない。
いかに優れた教員だろうと、いかに整った学校だろうとそんなことはできない。そういう意味でも「教育を学校に丸投げできた時代」なんて存在していないと僕は思っている。
いずれにしても…
僕は「教育を学校に丸投げできた時代」なんて最初から存在していないと思っているし、もし「かつては丸投げできたのに…」と思っている保護者がいるとしたら、その認識はまちがっていると思っている。
それは学校の教育内容と時代がどうだろうと関係のない話だ。
教育は誰かやどこかに丸投げできるもんじゃないし、丸投げするもんじゃない。
責任の所在も教育活動の正誤も関係ない。いつの時代のどんな学校だろうと、そこに丸投げなんてしちゃいけない。
学校と家庭と地域は、そこにいる子どものために協力する関係性が基本で、敵対するもんじゃない。
今現在敵対してしまっている人もいるだろうし、その要因はケースによって様々だろう。今僕はそこを個別具体的に論じてるわけじゃない。
現実に寝れない人や寝れてない人がいるってことと、「睡眠が大事」って話が矛盾しないように…
今現在対立してる人たちがいようが、学校によって苦しんでいる子どもと家庭があろうが、反対に保護者の理不尽によって苦しんでいる学校と教員がいようが…
教育をどこかに丸投げする
なんて感覚はまちがっていて、それは時代も場所も関係のない話。
「丸投げできた時代は終わった」を肯定的に捉えるならば、「現代では、教育を学校に丸投げするのはまちがってるよ」という話になるのだろうが…
一旦そうして肯定的に受け止めた上でなお思う。
じゃあなたは学校が今より遥かに時代にマッチして、環境が整ったら丸投げするの?
その感覚、ズレてますよ?
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放デイのスタッフをしながら、わが子の非行に悩む保護者からの相談に応じたり、教員等への研修などを行っています。記事をご覧いただき、誠にありがとうございます。