12月8日:祖父の日記に記されていたもの。
おはようございます。
安部家の直系男子筆頭・安部顕です。
祖父は長男。僕の父は三人兄弟の末弟。でも上二人には息子がいなかったから、祖父からの系譜でいけば僕が直系の男孫。
祖父の家はいとこの所に来てくれた婿が継ぐし、そもそももう農家ではないから大した意味はないのだけれど…祖父はきっと、僕のことをいろんな意味で大事にしてくれた。
今日は…
今日だから書いておきたいことを。
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今日、12月8日は真珠湾攻撃の日。
日本がハワイを急襲し、太平洋戦争の火蓋を切った。
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祖父は旧日本軍(陸軍)の軍人。戦場でともに戦った仲間との交際は亡くなるまで続いていた。
僕は戦争の話を直接聴いたことはない。
僕にとってはちょっとおしゃれで品格と教養のある素敵なじーちゃんだ。祖父の家に行くたびに、紹興酒やウイスキーをよく一緒に飲んだ。
祖父はシーバスリーガルの12年が好きで、居間では紹興酒を飲むけれど自室にはいつも晩酌用のシーバスがあった。
じーちゃんの晩酌に付き合って祖父の自室で飲んだ酒は美味かった。何を話すわけでもないのになぜか楽しくて、心のどこかが満たされる時間だった。
僕が20歳の時、伯父が亡くなった。55歳。祖父のあとを継いで広大な田畑を耕し、家を守っていたまさに大黒柱。じーちゃんにとって間違いなく自慢の息子だった。
地域に愛され、地域を愛し、地域に慕われ、頼られて生きてきた安部家の当主が、自宅前で雪にまみれて倒れて死んだ。
見つけたのは祖父。朝起きて窓の外に倒れている息子を見た時、じーちゃんはどんな気持ちになったんだろうか。
その日、じーちゃんからの電話を受けたのは僕。その声は今でもよく覚えている。僕にとっても親父と同等かそれ以上に慕い、影響を受けた伯父の死。
その後からだったと思う。
じーちゃんの家で晩酌に付き合っていると、いつも必ず自分の本棚のことを僕に言った。
俺が死んだらこの本棚の中身は全部顕にやるから。好きなように使え。
何度も何度も聴いた。
歴史小説や戦争の実録が詰まった本棚。
じーちゃんが亡くなった後、僕はその言葉の本当の意味を知る。
じーちゃんが僕に渡したかったのは、小説やドキュメンタリーではなく、日記だった。
表からは見えないところにきちんと並べてしまわれていた日記。真意はわからない。でもそうだと確信している。
死ぬ前に自分で戒名と葬式の段取りまで済ませていたじーちゃんが、それだけしっかりした頭で僕に何度も伝えた「お前に全部やる」…その本棚から日記が出てきた。
じーちゃんは僕に自分の日記を遺してくれた。
満州やシベリアで毎日綴った日記を。
…まだ全部は読めていない。
ただ
何冊もの日記の中から偶然手に取って持ち帰ってきたものの中にこの日付があった。
1941年12月8日
浅学な僕でも一瞬でわかるその意味。
じーちゃんが記した真珠湾。
詳しく調べてはいないけれど、そこに記されていた戦果はおそらく事実とは異なるものだろう。手本のような美しさで書かれた日記。
その80年前の今日…祖父は最後に、こんな一文を記していた。
非常時を過ぎ越して戦時に入る。
この短い言葉が持つ圧倒的な戦争の現実味。
以来毎年、12月になるとこの日記を思い出す。
今日は12月8日。
日本が真珠湾を攻撃した日。
じーちゃん、今日はウイスキー飲んでから寝るよ。おやすみ。
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放デイのスタッフをしながら、わが子の非行に悩む保護者からの相談に応じたり、教員等への研修などを行っています。記事をご覧いただき、誠にありがとうございます。