挑戦の再現性と持続可能性
1.突き抜けようとしない
彼らの挑戦は圧倒的な量とスピードに支えられている。
成功した人たちはそれを「誰でもできること」として語るけど、ぶっちゃけた話、大抵の人には実践できない。それだけの量をこなすのに必要な…ゆとりや覚悟を含めた「先立つもの」がないからだ。
彼らは人に挑戦を勧めるけれど、彼らが勧めればすすめるほど、人は挑戦できなくなるような気がしている。
だって無理だもの。
実際には同じことをやろうとして失敗し、苦しんでる人もたくさんいるわけだし。背負ったものがありながら背水の陣で飛び込んで必死こいて成功する…それはビジネス的には正攻法だけど、正攻法をやり切れずに爆死する人もたくさんいる。
でもたぶん…
僕がやってることも、そういう風に見えてるんだと思う。中身なんにも知らない人が見たら。
でも僕の中では全然ちがう。
結構大事な部分が違うと思っている。
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2.僕はまだなんにも成功していない
僕はほんとに、ぶっちゃけなんにも成功していない。
法務教官の肩書を捨てて、どこにでもいる放デイスタッフになり…無料の官舎を出て築48年の平屋6万で借りている。
出費は72万も増えてるのに収入は法務教官⇨放デイで100万以上減っていて、研修やらこはけんやらで補填してもまだまだ元の収入には届いていない。
なんとか生活資を稼ぎながらほそぼそと副業してるだけで、コミュニティつくったあの人や、フリースクールつくったあの人や、教材とコンテンツを生み出し続けてるあの人みたいなことは何もしていない。
もしこのまま終われば、誰がどう見ても「あのまま法務教官やってたほうがよかったんじゃね?」と言われる。今は希少性もなにもないただの公認心理師なんだから。
まぁ…このまま終わるつもりはないし、着実に前進しているのだけれど。
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3.挑戦の再現性と持続可能性
僕は「背水の陣」をしかない。「圧倒的な量」も「圧倒的なスピード」も出さない。(出せない。)
ただ「半永久的に続けることも可能」なことをやり続ける。
その代わり、成功までのスピードは捨てる。半年や1年で成功しようなんてこれっぽっちも思ってない。
意識してるのはただ1つ。
「実績として残す(残る仕事をする)」こと。
量もスピードも捨てて、「これなら続けられる」という程度で仕事を請け、形にしていく。
のんびりでも繰り返せば質は上がる。
よりよい方法も見つかる。
記録に残せばどこかに公開できる。
公開できれば次に繋がる。
少しずつ繋がっていく中で、
気づいた人が面白がって少し大きな縁をくれる。
そうやって少しずつ少しずつ大きくなれば、40歳になる頃には今より無理なく、少し豊かな生活ができるはず。
確証はないが確信はある。
この道でまちがってない。
僕がのんびり進んでたどり着いたら、
背水の陣しいて駆け上がったのとは違う影響を、
世間に与えられるんじゃないかと思う。
30代の普通の社会人が「俺も少しずつやってみようかな」と思えるような…そんなストーリーを描いている。
今年は、そういう意味で描いたとおりの1年だった。
来年も生きる。
このマガジンもあと3ヶ月。
よろしくお願いします。
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放デイのスタッフをしながら、わが子の非行に悩む保護者からの相談に応じたり、教員等への研修などを行っています。記事をご覧いただき、誠にありがとうございます。