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よくも悪くもマンガみたいな日本人。
1.悟空とベジータの違い
不朽の名作『ドラゴンボール』
主人公の孫悟空はサイヤ人という戦闘民族で、強い相手と戦うこと自体が喜び。戦えば戦うほど際限なく強くなっていく。とはいえ決してエリートではなく、幼少期には地球人の武闘家などに鍛えられて力をつけた。
ライバルのベジータも同じくサイヤ人だが、いろんな意味で対照的なキャラクター。
エリートで幼少期から他を圧倒するほど強く、戦うこと自体よりも相手を叩き潰すことに快感を得るタイプ。
同じサイヤ人だが、生い立ちに関連性は薄く、悟空はむしろ地球人として大きくなってきた経緯がある。
そんな悟空とベジータだが…初接触の時、ベジータが驚いたことがある。それは「悟空の戦闘力が感情によって上下する」ということ。
ベジータは相手の戦闘力を機械で測定するが、「地球の戦士が戦闘モードに入ると急激にパワーアップする」ことに驚いていた。(ベジータものちのちそういう性質になるのだが、地球で悟空と戦うまではそんなことができるとは思っていなかった)
感情によって戦闘力が上下する
2.主人公たちの共通項
これは日本のバトルマンガに共通する特徴だ。悟空だけじゃない。
浦飯幽助も
うずまきナルトも
ゴン・フリークスも
モンキー・D・ルフィも…
マンガのキャラクターたちは、その時の精神状態で戦闘力が変わっていく。この性質はきっと、多くの日本人(特に男子)には、なんとなく共感できるものではないかと思う。
ここぞという時にギアが上がり、パフォーマンスが向上する。
そりゃそうじゃん!
だって人間だもの。
という話なのだが、ふと「これはもしかしたら日本人の特徴なのかも…」という気がした。
先日の日本対コスタリカの試合は、開始当初から実に緩慢だった。攻撃に迫力がなく、守備にも必死さがない。
メンバーも相手もちがうから、連携が難しかったのかも…という解釈は当然あるが、個人的には吉田や鎌田などの主軸があまりにも緩慢すぎて試合開始当初から「あ〜こりゃダメかもな」という感じだった。
日本はこういうことがよく起こる。
試合ごとにパフォーマンスが大きく変わり、ダメなときにはとことんダメになってしまう。
昔から感じていたことだ。
日本人のアスリートは、大事な試合前や大きな試合の勝利後、神妙な面持ちで決意を語る。まるで特攻隊みたいに。
海外のアスリートはそうじゃない気がしている。
それがオリンピックだろうとワールドカップだろうと、世界陸上100mの決勝直前だろうと…トップアスリートたちはみな「集中していいパフォーマンスをしたいね。最高の舞台だ。全力で楽しみたい。」とか言ってる。
メッシもカリーもボルトもそんな感じ。ウッズも。
緊張感や悲壮感はなく、前向きにスッと集中し、自分の力をきちんと発揮することで勝負自体を楽しもうとしてる。
もちろん試合ごとに調子の差はあるだろうが、ここまでパフォーマンスがコロコロ変わるのは日本人独特なのではないか…と思う。
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放デイのスタッフをしながら、わが子の非行に悩む保護者からの相談に応じたり、教員等への研修などを行っています。記事をご覧いただき、誠にありがとうございます。