三ヶ月続けるのって案外難しい
noteを始めてそろそろ二ヶ月。
最近ふと、やめようかなと思うことがあった。
はじめは書いた記事に反応があることが楽しかったが、次第にそれにも慣れ、記事のストックが少なくなって更新頻度が下がり、それにつれてPV数が少なくなってきたのが現状だ。
そのせいか、ネットメディアの運営についてや、コンテンツの販売方法に疑問が生じ始めてきた。noteだけではなく別のところでもしてみようかとか、小説はどこで売るか、そもそも売らない方がいいのではないか、とこの頃よく迷っている。
そんな時に、いっそもうやめてしまおうか、と思った。
要は結果が出ないのが面白くなかったのだろう。
あと最近やめようかと思ったのがライフログだ。
ネタ帳として使っていた測量野帳が気に入った末に、ハンドメイドの革製カバーを探して購入したのだが、それが測量野帳を2冊収納できるものだった。なのでせっかくだからと一冊をライフログ用にしてみようと思ったのだが、これがあまり書くことがなくて困っている。
こちらも始めてそろそろ二ヶ月になるが、スケジュールやタスクのようにスマホでしてもいいような気がしてきたし、そもそもライフログを残して意味があるのかとも考えてしまうようになった。
やはりこの件についても、結果が見えないからやめたくなるのだと言えた。
どうやら結果が出ない、成果の見通しが見えないと、モチベーションが下がるようだ。
みんなにも思い当たる節はあるのではないだろうか。
でも例外もあった。
僕にとってはやはり小説だ。
新人賞に応募し始めてから受賞するまで、大体三年かかった。
その間何も結果が出ないのに書き続けることができた。
成果の保証もなく、お金にもならないことをだ。
一体あのモチベーションはどこから来ていたのだろう。
やめようと思ったことはなかったのだろうか。
今となっては自分のことながら不思議だった。
最近では禁煙が続いている。そろそろ四ヶ月になる。
体感できる変化なんて大してない。使えるお金が増えた気もしない。
なのにたまにあった喫煙欲求を我慢できたのはどうしてだろうか。
果たして続けられることと続けられないことの違いは何なのだろう。
いや、そもそも続けることは良いことなのだろうか。
続けられない、やめることは悪いことなのだろうか。
続けることで成果が出るのは間違いない。
noteは見てくれる人が増えるだろうし、ライフログは新しい発見を教えてくれるようになるかもしれない。
でも今していることをやめて別のことをすればもっと良い結果が待っているかもしれない。だとすれば、逆に続けるのは悪で、さっさと見切りをつけるのが吉となる。
つまりは結果論?
だったらやりたいことをするしかない。
そして別に無理はしなくてのかもしれない。
続くものは続くし、終わるものは終わる。
そんな自然淘汰的に取捨選択すればいいのではないだろうか。
がんばろうと思うならがんばればいいし、無理だと思うならやめればいい。
でも何事も少しは我慢して続けた方がいいとは思う。
でないと続けられるのか無理なのか、続けた方がいいのかだめなのかの判断もつけられない。
何かを続けるか迷っている人は、一ヶ月、半年、一年などと区切りをつけてがんばってみるのもいいかもしれない。
結果が出なくても、試行錯誤した時間は無駄にはならないはずだ。
それを糧に次に進めばいい。
僕もnoteの使い方をあれこれ考えながら、とりあえずは三ヶ月の継続を目指そうと思う。
三ヶ月続けるのって案外難しいよね、って話でした。
その分活字を取り込んで吐き出します。