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2024年6月制作まとめ

表題のとおり、2024年6月までの主な制作物と包括的な所感まとめ。記録用に。
いつか、記録は個人の歩みを裏付けて人生における浮標の役割を果たす、とか、生の記録はその時にしかないから逃しては惜しい、とか、そんなふうなことをあれこれ考えていたが、その理念は依然心に健在である。数年前から鑑賞・読書記録を習慣付けている理由もそこに依る。
とはいえ、創作に関する所感をまとめるのは初めて、今期は特別な時期だったのでめずらしく総括する。いずれ将来の自分の気を少しでも晴らすような読み物として機能してくれるでしょう。

早速本題、6月までの制作物といいつつ、実際は4~6月の絵のことを中心に記す。私における創作のなかで最も重要な存在なので。
最終的にどうなりたいのか、現実的な到達点も具体的にまたは漠然と心の中に存続しているが、それよりも概念的で曖昧な理想の方が重要に感じられてしまう。絵うまくなりたい、せめて自分が認められるくらいには。そんな気持ち。

2024年4月

専ら映画のキャプチャの模写。その他の作品はおよそ公開できるものにないので省略。noteの鑑賞記録のサムネイル等、使用ツールはおそらく終始パステル。描写対象や情報量の多い複雑なシーンだとバランスがとりやすい。他方、人物中心であったり、モチーフが画面の大半を占めている構図は色味の調整もパーツ配置も困難な印象。
とりわけ描いていて楽しかったのは『私の20世紀』のビジュアル(中央)。映画や演者も好みだったので筆がのったのかもしれない。やはり気持ちが大事なのね。
習作なのであまり時間をかけたくない、重ねるべきは枚数、それなのにどうしても修正に拘ってしまう。質も量も重ねられるよう、事物の造形や色彩を的確に捉えることのできる目を養う必要がありますね。

〜5月

ペキニーズfa。実家のペキニーズのちびっこ時代がぷりちまでかわいい。最左がよく描けている、唯一影に赤みのある色を用いているからか暖かみが感じられる。遠景は青を使うのが遠近法のセオリーですが、近景や単体モチーフの影には赤みを加えると優しい雰囲気が出ますね。グレイも赤みがある方が好みでよく選びがち。この時期にxのアカウントを新設して、それから描く量が増えた。いいこと。

〜2024年6月

ヨジャfa、左から一気呵成。ハニ、パステル、透明度を調整しながら。反射光だったり、彩度低めでも明暗のコントラストの存在により透明感が演出できますね。how sweetハニ、さらにパステル。習作3時間くらい、パステル楽しいけど時間かかる。ハイライトが映えてる、色味が瑞々しくて可愛い、どうやったんだろう。accendioレイ、パステルと細めのペン、光と服飾の表現がすごく楽しかった。アクセサリーのちゅるん質感をよく描けた、ツールの使い方においてある種契機みたいなところある。how sweetハニ2、パステル、ペン。服が楽しかった、けど顔のバランスに苦戦した。今も納得しておらずムシャクシャするが、一番反応をもらえた。なぜ、描き込み量?(snsにおけるインプ増減、タイミングに左右されるみたいなところありますが)ミンジ、パステル、こちらも顔のバランスに苦戦した。でも影のトーンが大分好み。明度が低く、グレイッシュで重厚感のある雰囲気。画質の荒い旧世代iPhoneのノーマルカメラみたいな、私が愛するノスタルジック世界の周辺。bubble gumへリン、ペン、鉛筆。私と相性のいい描き方が少し見えてきた。右下ヘリンのややコミック調な雰囲気が良い、追求。right nowダニエル、ペン、鉛筆。仮説の検証。楽しかった。なお1枚に2つ以上のモチーフをまとめるのあまり良くない、いくら凝っても映えないようで、他者の目に止まらない。以後注意。

続いて、手法についての所感と展望。
今年度はパステルで始まった。パステルツール自体は以前から習作に用いていたが、シーンではなく人物を対象とした描写において、意図的にパステルを選択するようになったのはここ最近のこと。荒い質感、情報量、ペン先の形、ガリっとした筆致が楽しい。使用時は透明度を調整しつつスポイトで色を抽出、混色を繰り返しながら着色している。個人的な好みが、デジタルながらも荒く重厚感のある質感、およびそれが視認できるような画風。パステルとの親和性が高いのだろう。具体的には、ミュシャ、ロートレック、クプカ等世紀末芸術や商業イラストレーション黎明期の世界観。平成日本におけるアナログイラストの雰囲気も愛しています。
ただし、パステル中心の描写だと効率が非常に悪いと学習した。基本的な私の描き方は、レイヤー数を最低限のままに(レイヤーが増えると管理が面倒なので)、アタリだけとってそのまま着色していく方法。そのため、経過後に要される修正の時間も手間も比較的増加しやすい。さらに、それはつまり修正が必要な絵が眼前に延々と存続することを意味する。やっぱりあまり好ましくない絵を見続けていると精神的にかかる負担が多い。できるだけ自分が肯定できるような、自分の絵最高すぎるかわいい泣、と思える過程を維持したいのです。なので、このような苦しい状況は避けたいところ。
で、近頃の気付きとして、実際に調子よく描けた絵は、総じて構図が引き、だいたい落書きくらいのラフな心持ちから始まる、なのでテンションが高く最後まで絶好調。また、たいてい線画の下レイヤーに鉛筆等なめらかなツールで着色、それから上レイヤーに描き込み、そうした特徴が挙げられる。おそらく私はアップの構図が苦手なのでしょう、色の乗せ方がわからない。アップの画を上手く描きたいのだとすれば、引きのままある程度書き込んで、それから拡大してやりすぎない程度に書き込む流れが良さそう。またはベタ塗りとエアブラシを中心に着色するのが描きやすそうだが、私の方向性ではないので食指は伸びず。
したがって、今後の具体的な手法は、細部から全体にわたる着色は柔らかめの鉛筆、広い面は都度パステルで質感を加筆、主線は書き進めながら細めにとり、遊び心と装飾性を忘れない。そんな風にペンを走らせたい。
とはいえ、何よりも大切なのは朗らかな気持ちですので、心躍るツールがあれば、柔軟に乗り換えて試行錯誤を楽しみたい。かつては平筆やガッシュも使っていたが、手に馴染むものとは出会えず。今もなおですが、それでも、使いこなせずとも愛着のあるツールに巡り会えたことは幸い。そういえば、パステル以前(3、4年前?)は鉛筆を使い続けていた。質感と温かみ、オールドファッションな雰囲気が心地よい、私は鉛筆との相性がいいのかもしれない。

モチーフについて
もっぱら韓国アイドルのfa。数年前まではオリジナルのイラストしか描かず、とりわけ私は服飾と人体が好きなので、それらフェチを追いかけるイラストの描写を主としていた。絵は自分の手元にないものさえ再現できるから本当にすごい。また、無から何かが生み出されていく過程って不思議、筆舌に尽くし難い。絵はすべてで、海みたいに深くて、一生解けない謎。ずっと魅了されてる。でもそんなに爽やかじゃなくて、けだし呪い。
というのも、数年前から実生活における変化やそれに伴う不安から自分の絵を前にして落ち込む頻度が高くなった。それだけあれがいいこれがいい等の理想や想像力も枯渇した。とはいえ、描きたいものが無くなったとしても、絵をやめることの方がずっと恐ろしいことなので、何かしらは描き続けていた。のだが、するとさらに落ち込む、その悪循環が苦痛だった。この間は映画のキャプチャやブランドの広告、ビジュアル、グラビア、そういったものを熱心に模写していたっけ。
現在はfaが中心。描きたい、って気持ちって非常に尊く貴重な感情で、それを与えてくれる諸々のコンテンツには心から感謝している。ただ、応援や愛情表現という言葉を隠れ蓑にして、それらを自己実現のために消費しているのではないか、そんな後ろめたさもある。いやしかし、そう考え始めると堂々巡り。私の悪癖、ぐるぐると内省しはじめて何も手がつかなくなるので、それらコンテンツの存在への敬意、描かせていただいている立場であることは決して忘れずに創作する。もちろん、自分自身の想像力の帰郷は本懐とするところで、ずっとそれを待ち続けていますが。

モチベーションについて
よい転機となったのはxのアカウントの新設(4月末〜)。sns運用をがんばろうと思い奮起した。外界に向けた自己主張はあまり得意ではないのでひたすら壁打ち、それでも功を成したようす。私の場合、やはりある程度の重圧や視線が推進力になる。焦燥感や義務感との折り合いの付け方は積年の課題とするところだが。
絵に全振りした分、noteの更新が疎かになった。正直映画鑑賞もできていない、読書量も減少、なお心ではずっと想っている。それでも、いい傾向だと思います。作文料理音楽等種々の創作活動は、たんなる娯楽のみならず、絵から離れている間の創作意欲の避難先としても機能している。
また、なによりも大きな変化。気の置けない人たちが自分の世界観に触れてくれたこと。私に寄り添ってくれて、応援してくれる大切な人たちを少しでも幸せにしたい、その人生に花を添えられたら嬉しい、そんな気持ちにずっと突き動かされてきた。(その他の絵への動機を挙げるとしたら、絵の面白さの他に、コンテンツ産業、日本のカルチャーへの愛着がある)今まで創作を知り合いに公開することは避けてきた、なぜならとても恥ずかしいし受容されるか不安だから。でも、その考え方自体周囲の人を侮っていることになるのでは、などと逡巡した。ただ、これまでなにかを作り続けてきて、それなりに(現在進行形で)挫折を繰り返しており、人生において自由に振る舞える時間も環境も有限だというのに。いい加減幼さを理由に臆病を正当化できないし、自分が変わらないとと思い立ち、自己開示を試みた。すると、想像以上に状況が好転した。みんな褒めてくれるし、それがすごく嬉しい。これまであまり関心のなかった承認、それがもつ包容力を知った。また、人の心に少しでも良い影響を与えられるのであれば、心から幸福に感じる。ありがとうございます。いつも与えてもらってばかりなので、恩返ししたい。まだまだ甘ったれですが、世の中に対して胸を張れるようになりたいです。
Twitterに始まり、近年複数のプラットフォームに手を出している。ブレイクスルーにはなかなか辿り着けないけど、たとえ目に見える結果がなくても、決して悪いことではないのでしょう。私を満たすものは、私の想定の外にも無限に広がっていると知った。追いかけている理想が達成できなくても、周囲の人のおかげで幸せが約束されているのだし。今年度はまた新たな目標を打ち立てたので、実現できたら幸い。
自身の現状を顧みて、太陽みたいに輝いている同年代と比較して、落ち込むことも往々にしてある、むしろそればかり。それでも、私は私で自分の道をまっすぐ進んで行けたらいい。一点突破主義で。
はあ、本当あたたかく受け入れてくれる皆さまのおかげで生きていける、備忘録としてまとめるつもりだったけど、やや情熱的なありがとうのラブレターになってしまっていた。どうせ誰の目にも留らないだろうし、内密に告白。心当たりある各位、これからもよろしくお願いします。

おまけ。左から『我が谷は緑なりき』(2020年描)、ハリウッドを好きになったきっかけ。中央、右『アリス』(2023年描)ヤンシュヴァンクマイエル、去年も描いていた。

最後に、記事を見返して思ったこと。私はよく話が飛躍しますね。会話でもそうなのですが、すぐに話が逸れる。今回も口述を文章化、くらいの緩い気持ちで書いているのでその傾向が顕著。そのおかげで内容もくどくどと長くなるし。それと、言葉が選びによるものなのか、なんとなく真面目臭くて重苦しい雰囲気が漂う。気を抜くとすぐに地に足のついていないポエミー文章になってしまうし。まあ面白いからいいか。おわり。


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