forget me not
みなさん初めまして。うるう年生まれのラッキーガールです。よろしくお願いします。
(大)昔、もし自分がアイドルになったらどんなキャッチフレーズを使おうか。ぼんやり考えながら考案した口上です。
文言の如く、私の誕生日は2月29日です。今年の2月のカレンダーには29日の枠がありますね。
時宜に適った折に、閏日に生まれた人間の所感を一本したためようと思います。
自分の誕生日を公表して真っ先に投げられるのは、平年は何日に誕生日を祝うのかという問いです。
(次点で年齢を聞かれます。実年齢を4で割った数字を答えるボケが鉄板です)
特にこだわりはありませんが、厳密に言うと28日を迎えた時点では歳を重ねていないので、3月1日のお祝いが適当なように思います。
ただし月の数字が異なるのであまりしっくりきません。私は2月生まれです。
なお、年齢計算ニ関スル法律、また民法143条によると、満年齢に達するのは、誕生日の前日の終了時(午後12時)だそうです。
したがって、2月28日の12時00分に私はひとつ歳をとることになります。
するとなると、日付の上では28日が誕生日に該当するみたいです。
なるほど。複雑です。
とにかく、どちらの日付であっても生誕への祝福はものすごく喜ばしいことです。
そもそも誕生日の存在自体が曖昧なので、平年にお祝いされる回数はそれほど多くありません。
(私のささやかな交友関係、人望に責任の大半があるでしょうが)
ただ、やはり印象的な誕生日であることは間違いないようで、私が生まれた日の数字をずっと覚えてくれている人もいます。
本当にありがとうございます。だいすき。
いわんや、実際に閏日を迎えた暁には盛大にお祝いしてもらえるので、溢れんばかりの愛情で満ちているのが私の2月29日です。
そういうわけで、私は自分の生まれた日付に格別の愛着を覚えています。
とはいえその日は毎年当然のように訪れるわけでなく、時に寂寞の念に駆られます。
1年のうちの4分の1が2月になればいいのになんて考えたこともありますが、仮に実現した場合、2月生まれの人が私の3倍歳をとることになってしまいますね。
大切な人に置いていかれるのはもっと寂しいです。やめておきましょう。
他方、待ち焦がれているはずの閏年の訪れに動揺させられることもあります。いきなり3つの年齢を重ねるように感じられて、にわかに浮足立つのです。
私が積み重ねてきた3年間はどこかへ行ってしまうのでしょうか。
陰府の王ハデスに見初められた花の女神ペルセポネは、婚姻によって1年のうちの3分の1を冥府で過ごすように強いられます。
ペルセポネの嫁入りは、地上の3分の2から春を拐かし、彼女の不在に冬という名称を授けました。
過酷な冬の到来は人々の心に翳を落としますが、その一方で、ハデスに幼妻と過ごす束の間の安らぎを与えます。
ペルセポネはひとりしかいない。ハデスの憩いと人々の憂愁は表裏一体なのですね。
人は地上から春を奪い去ったハデスを恨めしく思うのでしょうか。それでも私はハデスに共感します。
花嫁の来訪を歓迎するハデスの喜びは、私が誕生日に抱く感傷と通じているように思うのです。
というのも、私においてはペルセポネの実在と失われた3つの閏日が重なります。
ペルセポネの実在(2/3)は閏年の不在(3/4)であり、かたやペルセポネの不在は(1/3)は閏年にとっての実在(1/4)、そのように考えられるのです。
2月29日の誕生花のひとつに勿忘草が挙げられるそうです。花言葉は「私を忘れないで」。なんて詩的なのでしょうか。
この花は英名で「forget me not」と名付けられており、その由来は中世ドイツの逸話に遡ります。ちぐはぐな語順は古い文語体の名残りのようです。
私にとってこの「forget me not」は、帰郷するペルセポネを見送るハデスの哀願に聞こえてなりません。
言葉の背景に、冷たい死の世界に取り残されたハデスの姿が浮かび上がります。
私は取り残されることを恐ろしく感じます。
課題を終えられずひとり居残りを続ける小学校の図工室とか、仕事に出た親の帰りを不安な気持ちで待ち続けた幼少時代とか、独りという状況に思いを馳せると、そうした過去の情景の寂寥が想起されます。
同じような寂しさから、ハデスも傷心に浸っているのではないでしょうか。
愛妻が不在の空白を、彼はどのような気持ちで耐え凌ぐのでしょう。
しかし、ここに不可解な自家撞着が生じます。
どういうわけか、私はペルセポネの不在を憂いこそすれど、厭いはしません。
不在であることによって、逆説的に、ペルセポネは絶対に失われることのない存在となるのです。
不在において、事物は明確な輪郭をもちません。それゆえに忘却や喪失の支配から免れています。
完全に手に入ることも失われることもなく、ただ断片的な印象のみを人々の主観に残し続けます。
何かに規定されることも何かを規定することもないこの不在の空間に、私は心地よさを見出します。
憂いを帯びた形態のなかに無限の広がりがあり、その世界は寛容によって統べられているのです。
ここに不朽不滅のペルセポネがいるのでしょう。
たとえ彼女に触れることができなくても、その姿を思い描くだけで心が安らぎます。
どうやら、私をノスタルジアに惹きつける要因は誕生日という自分の根本的なルーツにあるのかもしれません。
冥王は私の不在への偏愛に共感するのでしょうか。
結局、人前が苦手で口下手な私はアイドルと無縁のまま歳を重ね、冒頭のフレーズは永遠のお蔵入りとなりました。
ただ、この消極性を個性と呼ぶのであれば、私という個にかなう誕生日は2月29日をおいて他にないように思います。
最後になりますが、2月29日生まれの皆さま、お誕生日おめでとうございます。
閏年がかつて不在であった3年間、これから不在となる3年間、計6年に及ぶ寒冷な春を耐え忍ぶためにたくさんの幸福を蓄えていきましょう。豊穣の女神デメテルのご加護がありますように。
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