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洋楽バンド「ヨーロッパ」のボーカルが昔、家に来たというお話し

スウェーデン出身のバンド「ヨーロッパ」を知らずとも、この86年発表の代表曲「ファイナルカウントダウン」の、ことさらイントロには馴染みがある人は多いのではないだろうか。

しかし、とりあえず日本では、この曲以外はあまり知られていない。

世間的にはワンヒットワンダー、すなわち一発屋との認識をされがちだが、実はこの曲の以前、80年代初頭より北欧メタルの先駆けとして評価され、十分に活躍している(この情報は私も今しがた、知り得たものである)。

しかし、この曲の極端な大ヒットで知らない人も知る存在となり、それゆえに少なくとも日本においては一発屋感は強く、ついさっきまで私もその印象だったが、とにかく、興味のない人も耳にするほどのヒット曲を生み出した凄いバンドだ。

長らく 停止していた時期もあるが、近年も新作を発表するなど、現役で活動している(この情報は私も今しがた、知り得たものである)。

このヨーロッパは現在、来日公演を行なっている(この情報は私も今しがた、知り得たものである)。

そして、何だか突拍子もない話のようだが、そのボーカルのジョーイ・テンペストは昔、我が家へやって来たのだ。

時は1987年、私は7歳の小学1年生だった。

その日もいつも通り、学校が終わると近所の友達の家へ遊びに行き、夕方のチャイムが鳴る頃に、帰路に着く。
と言っても、同じ通りの50mもない距離感だから、あっという間である。

その極めて短い道中で、この町内におよそ似つかわしくない異質な一行とすれ違う。
中でも一際目立つ、金髪ソバージュのデッカい外国人(当時の子供の率直な感想)だけは印象に残っている。

今もそうかもしれないが、特に当時はそこらに畑が存在し、東京23区内でも田舎と称されていた地域であるから、外国人というだけでも珍しかった。

一行を横目にしつつ、そう広くない道をすれ違いながら、何となく思い出していた。
「そういえば今日、誰かが来るようなこと言ってたっけ。」
帰宅するや否や確認すると、あれが当該のヨーロッパというバンドのボーカリスト「ジョーイ・テンペスト」であり、マネージャーや通訳といった面々を引き連れて、我が家へ来訪していた。
ちょうどその帰路に出会したわけだが、あるいは、私がもう少し早くに帰宅していたら、直接的な接触もあり得ただろうから、今となってはちょっと惜しい。
でも、遅かったなら、その姿を見られず終いだから、ツイているのか。

私が生まれる5年前に他界した母方の祖父は、各種媒体で手広く活動する、占い師であった。

死後は、とりあえず便宜上、おじが名前を引き継ぎ、残された仕事、主に新聞雑誌の連載などを、親族で手分けしながら継続する運びとなる。

ちなみに87年当時、我が家は祖母、おじ・おば夫婦、両親、姉、私の、3世帯の7人暮らしだった。

当時連載していた音楽誌の繋がりで、おじが彼を占うことになった。
それが、その雑誌の企画か、あるいは彼の個人的な興味だったのか、詳しい経緯も、その運勢がいかほどだったのかも、わからない。

7歳の小学1年生だった私。
将来の夢はお菓子屋さんかオモチャ屋さん。なぜならそれを自分の好きに楽しめるから。

ヨーロッパというバンドはおろか、それが国名ではなく地域との認識もない。
そんな子供にとっては、
「大っきな外国人見れてよかったな。」
これで終いである。

しかし大人になるに連れ、あれが凄い出来事であったことにジワジワと気付き始め、今回の来日公演を知り、当時の事の重大さを、また改めて今一度、実感した次第である。

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