見出し画像

気難しく単純な人

何だか最近グッスリと眠れず、無駄に早めに目が覚めるし、右まぶたはずっとピクピクしており、そのせいか簡単な在庫を連日数え間違えて無駄に帰りが遅くなり、皆にも迷惑をかけている。

その日もやらかしてしまい、幾らか気が滅入った状態で帰路につき、飲み物を買うべくファミリーマートへ入る。

セルフレジで会計を済ませた後、店を出る際には通常のレジの前を通るのだが、店員さんはテーブルでうつむき加減に何かの作業をしている。
私が「このまましれっと出て行きますから、お構いなく」といった心持ちでサッとその前を通り過ぎようとすると、「ありがとうございました!」と、律儀に挨拶をくれた。

単純だが、ちょっと元気をもらえた。

自ら命を絶とうかといった状況下で、何か声をかけられ、思いとどまるといった話しは、しばしば聞く。
私のは取るに足らん比べようのない仕様もないものだが、それを少しだけ想起した。

また、私の何かが、どこぞの誰かの何かしらの足しになっていたり、あるいは救いの一端を担ったこともあるのかなと、それと同時に、逆に、その死の選択を迫る側にも、きっとなっていたりするのだろうと、無駄に深いっぽいことを考えたりする。

それにしても自身は案外、単純なのだろうとも思った。
思ったというか、とっくに知っている。

口数が少ないから、周囲からは気難しい人間と思われがちで、自身もそっちの方が楽だったり得したりで、甘んじてその波に乗ってきた節があり、確かに神経質だし、そういう面はあるが、まあ、単純である。
気難しいの反対が"単純"ではないのかもしれないが。

あるいは単純過ぎて、常人にしてみたら逆に難しく見えるのかもしれない。
速すぎて止まって見えている、かと思いきや、本当にただ止まっていた、みたいな。
死んだように寝ているかと思いきや死んでいた、とか。

"気難しい"って、要は扱いにくい、平たく言えば"面倒くさい"だろう。
面倒くさい人と思われているのだろうな、知っているけど。
それを憂うことも直そうとの気も起きないのがまた、タチが悪い。

仕事中にスマホでコソコソと、こんなことを考え記していることも、ミスの大きな一端を担っているのだろう。
そしてまたミスをして何かを記す、というループ。

この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?