花の一生に君は必要ない

永遠なんてないとしたら
この最悪な世界もきっと
続かないでしょう

「光るとき」

羊文学は人と世界の、あるいは人と人の距離を歌おうとしている。どこか冷めている、その世界への眼差し方に特徴がある。

今回のツアーのタイトル “if i were an angel,”は、羊文学が天使のようだとよく形容されることを踏まえたものであるとライブ中に説明していた。

天使とはもちろん神話的な空想上の存在であり、非人間であり、われわれが生きる世界の外部からやってくるアクターである。

羊文学は、この世界の「外から」、この世界について歌っている。それはこの世界と距離をとっているとも言えるし、冷めているとも言える。羊文学はもちろんこの世界の住人であり、人間であるが、そのうえでこの世界と自らを切断し、距離をとることでこの世界を表現している。そういうバンドであるように見える。

世界から距離をとること。もしくは、自分たちと世界の距離を確認すること。そして、自分たち同士の距離を、「関係なさ」を表現すること。究極的にはそれぞれがそれぞれであること。それが羊文学を貫く一つのモチーフとしてあるように思う。

本当はわかっている
君もわかっている
花の一生にとって
君は必要ないこと

「人間だった」

羊文学の一生にとって俺は必要ないし、俺の人生にとって、羊文学が絶対に必要かというと、たぶんそうではない(羊文学がいなくても、いないなりの人生を生きるはずだ)。

究極的な意味で、お互いにとってお互いは必要じゃない。お互いの人生にとって、関係がない。根本的には無関係な両者が、それでもあるライブを通して一時を共有するということ。「その場限りでの」必要を満たすこと。それは極端に言って、人生そのものである。

どんなに親しい仲であっても、どんなに欠かせない存在であっても、それ抜きの世界になってしまったからといって自分が生きるのをやめるということは普通ない。深く落ち込み、一生の傷を負うとしても、それでも生きていくということになる。その意味で「絶対に必要な存在」など何もない者同士が、それでもある時間や場において、お互いの存在を必要とする。根本的に関係ない者同士が、人生のある時間と場において関係をもつ。

大げさに言ってそれがライブであり、それはまた人生である。

夜の中で君が一人泣いてても
誰も気づきやしないから
構わないだろう

「祈り」

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