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半月

オードリーのオールナイトニッポン15周年記念の東京ドームライブに行った。

訳ありスタンド席ということで、どんな席なのかと思っていたら、エキサイティングシートのいちばん外野よりの席で、映画館のような椅子で足元もゆったりしており、アリーナ席とされるグラウンドの席もすぐそこで、なかなかいい席を引き当てたようだった。

開演前、フェンスにかけていたアウターを「演出の都合上」という理由で撤去するよう注意され、こんなファールゾーンのへりで演出もクソもないだろと思っていたら、オープニングでラスタカラー号(ロードバイク)に乗った若林が目の前を疾走してきて、なるほどこれは演出の都合があったなと納得した。

グラウンドにもスタンドにも人が満ちていて、その中心で一挙手一投足にリアクションされるオードリーの二人からはこれはどんな景色でどんな感情が蠢くのかと想像し、身震いした。スターだ。

ライブは充実していた。時間を感じなかった。何回も体から拍手と笑いが湧き出た。星野源と若林のセッションでは、ドームライブの醍醐味を味わった。4万人と演者が作り出す音楽空間は夢の中にいるような感じで、好きなアーティストの音楽をここで味わえたらさぞ素晴らしいだろうと思った。

これまでのラジオ放送でネタとなった数々の出来事や人々が走馬灯のように組み込まれたライブは、オードリーの漫才によって大団円。3時間半を越える上演が幕を閉じた。

実際には、このライブはその開催が発表された昨年の2月から始まった「運動」だったと思う。「オードリーのオールナイトニッポンin東京ドーム運動」である。一年をかけてその企画進行の一部始終をリスナーと共有し続け、当日を迎えるまでの道のりをリスナーにも擬似的に歩ませた。丸一年に及ぶその「プロセスの共有」が、今日終わった。一年間動き続けてきたライブが終わったのである。運動の終焉。ライブ後には、そのことの寂しさが込み上げた。

しかし、それで胸がいっぱいになったかというと、そうではなかった。一旦の締めくくりだったラジオ編のフィナーレでも、その後の漫才でも、まだまだこれからだという気分だった。もう終わりなのか、なんだ、という感覚。まだ半分くらいだと思った。あれだけの長丁場で時間を感じさせない企画とその質は、エンターテイメントとして最上のものだったと思う。しかし、まだまだ足りないと思った。もっとガツンと、最後のひと押しをくれ、まだ途中だ、と体の底から思った。

東京ドームを出ると、空にはちょうど半分欠けた月が光っていた。やっぱり、まだ半分なのだと思った。オードリーも、自分も、まだ半分で、まだ「途中」だ。15周年も、きっと半分だ。まだ満月とは言わせない。

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